蝉時雨の中、uiriさんよりヨーグルトが届いた

 早朝は風がここちよかったが、日中は蒸し暑く日差しも強かった。古木の柿の木のある裏庭は特に蝉が鳴き声がうるさいほど。レオが晩年よくいた庭に面した部屋に続く居間にいると、蝉の鳴き声が部屋中に響き渡るようで、ひとりでいることの寂しさが増長するようだ。
 「独り居の部屋に響くや蝉時雨」
蝉の声を聞くと昨夏を思い出し、胸がかきむしられる。今日はなんだかレオのことを思い出し、泣きなさいと誰かに言われているような日。午前中、家の前の道路で会ったチワワ君はレオの晩年の友だち。チワワ君を見ると、パクッとかみつこうとする(もちろん親しみをこめたあいさつみたいなもの)レオに、すばやく逃げながらもしっぽを盛んに振って、ときにはレオに自分からしかけることもあった。レオの最後の夜に会ったわんこでもある。
 そのチワワ君がわたしを見てじゃれついてきた。飼い主さんがこの駐車場の前を通ると中に入って匂いを嗅いだり、しっぽを振って興奮気味になると言った。
レオとここで会ったことをおぼえていて、どこかから出てくるんじゃないかと思っているみたいだ、とも。
 これを聞いてその場では我慢していたが、家の中に入って泣いた。レオのことをおぼえていて、親しみの感情を示してくれるチワワ君の姿に、在りし日のレオを思い出した。チワワ君へのレオの反応を見て、レオはまだまだ元気と思っていたこともあるが、やはり最後の数カ月はほとんど興味を示さず、近づいても立っているだけでせいいっぱいでパクッとすることなど無理だった。
 他にも涙を誘うことがあった。午後に緊急地震速報があり、宮城県沖で地震があった。2011年の3月11日や今年の1月(?)の強い揺れを思い出し、その日のレオの様子やわたしの行動を思い出し、あのときはレオがいたと思うと泣けてきた。
 午後はどこにいたらいいのか、わからなくなった。身の置き所がない。レオがよくいた部屋の奥の居間にいると、レオの姿が見えず辛いので庭に出てみるが暑くて長い時間居られない。居間に戻ると蝉時雨が聞こえ、ああ、昨夏はレオと蝉が鳴くのを聞いたのだと思うといたたまれない。6年前の夏には父母がいたし、母亡きあとは父とレオがいて、父亡きあとにはレオがいた。誰もいない夏をこの部屋で過ごすのははじめてだ、蝉の声が耳だけでなく、心にも響いて辛くなる。居場所がなくなり、部屋から部屋へうろうろしたが結局なんとか落ち着けたのは、自分の部屋だ。
 ここは午後は日があたり暑いのでいたくないのだが、エアコンをつけてこもることにした。戸を締めきるので蝉の声も聞こえない。
 少し落ち着いたとき、ブログの先輩で友だちのuiriさんからヨーグルトが届いた。
 メールで送ってくださったことは知っていた。でも思いがけなく届いた、そんなタイミング。玄関の戸を開けると蝉の声が家の中に入り、その声の中受け取った。
 すこしでも気持ちを落ち着かせてほしいというuiriさんのお気づかい。ありがとうございます。レオにもお供えしてくださいねというメールのお言葉を思い出し、涙がほとばしり出た。亡くなったレオのことをこうして考えてくださることがうれしく有り難く・・・・・・。
 レオがわたしとともにいるということをuiriさんが尊重してくださるのがうれしくて・・・・・・。 
 うれしいのと悲しいのがどっと押し寄せてきて、泣きに泣きました。

 uiriさん、さっそくヨーグルトいただきました。蒜山のジャージーヨーグルト、濃厚だけどやわらかい味わいで、甘みも上品でぺロリでいただいてしまいました。もちろん、レオにもお供えしましたよ。レオのことをこうして忘れないでくださる方がいるんだよ。いっしょに食べられたらよかったね。と話しかけて。

 思えばレオの四十九日あたりから、涙がどこかに溜まっているような気がしていた。今日、その涙が堰を切って流れ出した。ささいなきっかけで涙があふれだした日だった。泣くより辛いのは身の置き所がないという気持ち。どこにいればいいのかわからないという辛さを、今日はまた味わった。
 日曜日はでかけることなく、一日中、家でテレビを見て過ごす父母のことが記憶にあって、特に居間にひとりでいることが苦手だが、レオがいるときはそれほど感じなかった。これからは日曜の過ごし方を考えてみたい。



uiriさんからいただいた蒜山贅沢ジャージーヨーグルト


レオにもお供えしました
レオといろいろな食べ物を分けあって食べていた日々がなつかしい
uiriさんのお気持ちがうれしいです



ニチニチソウトレニア、カラミンサ(後ろの小さな白い花)
の夏花壇
暑さのせいか花つきがどれもよくない


隣に住む女性に朝顔がきれいで、ここを通るとき
眺めるのが楽しみといわれた
今年の朝顔は昨年よりつるの成長が早い
肥料をやり過ぎたのだろうか