柴犬レオの写真を大画面で見る

 亡くなったレオがまだ若い頃仲良しだったチワワの飼い主さんから、ブルーレイディスクプレーヤ―をいただいた。そのチワワ君は2006年夏にまだ8〜9歳で病気で他界した。若い頃のレオには仲良しの小型犬が三匹いたのだが、どの犬も若いうち(6〜9歳)に亡くなっていて、チワワ君もそのひとりだ。
 思えば16年余りのレオの生涯は出会いと別れの連続だった。仲がいい友だち犬がたくさんいたが、ほとんどがレオより先に他界している。そのたびに、ここに来れば必ず会える友だちに突然会えなくなり、ずっと会えないということを何回も体験している。レオがそれだけ健康で長生きしたということだろうが、大好きだった犬に会えなくなったときのレオの反応を思い出すと、不憫な気持ちになる。
 その犬の家の前で散歩に通るたびに立ち止まり、庭をのぞき、鼻をひくひくさせかすかになった匂いをかぎ、耳で亡くなった友だちの気配を聞こうとする。もとろん聞こえないのだがその心中を思うと、辛かっただろうなと今になってことさらに思うのである。それはわたしがレオとの別れを体験したからかもしれない。
 短いが出会いと別れが凝縮していたレオの人生。いつもの散歩コースで大好きな友だち犬に会って、大歓迎のあいさつをし、じゃれあったり、いっしょに散歩する。楽しい時、嬉しい時もいっぱいあった。広い青々とした芝生で、わたしが投げた、噛むとキュッと音が出るおもちゃを追いかけ、口でとらえてキュキュ音を出して興奮したり。
 そういえば2歳から6歳くらいまでの本当に若い頃は川が大好きで、水につかるだけでなく川に投げたフリスビーを追って泳いだりした。ただ、よく泳いだのはせいぜい4歳くらいまでかもしれない。若さの勢いで泳いだ感じで、壮年期になってからは暑い夏の水浴は大好きだが泳ぐことはあまりなかった。ときどき水浴する場を移動するために泳ぐていどだった。
 話しが脱線したが、いただいたブルーレイプレーヤーが、メディアに保存したデジカメの写真も再生できることを知り、DVDに保存した写真の再生を試みた。すべてのメディアが再生可能なわけでなく、ほとんどの写真を保存したDVD-RWは再生できなかったが、一枚だけCD-Rに保存した写真は再生でき、二百枚近くの写真をテレビの大画面でスライドショーで再生した。
 2005年10月の写真だ。この時期でも川に入っているレオがいた。広い芝生をかけまわるレオ。疲れて川の水に濡れた身体で芝生に崩した伏せ姿勢になるレオ。たくさんの友だちがいる広場で休んでいるレオ。川辺の草むらをかきわけて歩くレオ・・・・・・あのときレオは8歳。人間でいえば40代半ばほど。元気で輝いているが、よく見ると(ズームアップの写真で)口元などに白い毛も混じり始め、目をつぶった顔には老いの影も見える。
 そんなレオを大きな画面で見て、悲しさよりなつかしさが勝った。
 一枚だけ空いているCD−Rがあったので、今年1月の写真を入れて、大画面で見たが、こちらは寝ているレオの写真がほとんどで、時間の経過を痛感し、涙があふれてきた。


 柴犬レオがまだこの家にいたときに作った梅ジャムを少しずつ食べてきたが、今日で最後になった。食べきった。こんなことでも悲しくなり、泣いてしまう。レオがいた家の台所で煮こんだ梅ジャム。あのときレオはどうしていただろう。レオが泣いたときは中断してレオの様子を見に行っただろう。何回かジャム作りの途中で火を消したこともおぼえている。でもジャムはなにしろたくさん作ったので、どのジャムを作った時かはわからないが。

2005年10月4日のレオ
おもちゃを追いかけて遊んでいたがひと休み
芝生に伏せ姿勢になってごきげん顔


2005年9月23日のレオ
川から出てきたところのようだ
脇腹あたりが濡れている



川の流れから立ち上がったばかりのレオ
からだから水がしたたっている