昨日は短歌の集まりに行った

 昨日は晴れて気温が上がったが午前中からでかけた。でかけたのが9時半ごろ帰ったのは6時過ぎで久しぶりにかなりの時間、外出していたので、帰宅後疲れが出て、昨日のブログを更新できなかった。今日は昨日書いた記事と、今日書いた記事をアップロードします。
 ひと月ほど前だろうか、偶然出会った方に出版したばかりの歌集をいただいたのが縁で、明治神宮で毎月一回歌会が開かれるのを知り、昨日はじめて出席した。社務所内の広い部屋で講師の方を迎えて行われる。11時に会場が開き、その日のお題(当座といっている)が示され、おのおの席について短歌をつくる。
 昨日のお題は「本」。本でもいいし、本箱でもいいし、書籍とか、本当、本気、本物ということばでもよい。本という文字が入っていればいいみたいだが、これは皆さんの作品が発表されてからわかったことで、わたしは本箱、本屋、文学全集などのことばを使って作った。
 締め切りは12時50分だが短冊状の紙に書いてだいぶ早く提出した。その後は自分の席で持参のおにぎりで簡単なお昼ご飯を食べたり、神宮の森を少し歩いたりした。
 1時から講師の方の講評が始まる。最初は全国の歌人から募る明治神宮捧詠(7月のお題は晴)の選ばれた作品についての講評がなされ、次に会場の皆さんが提出した
作品を講評した。間に10〜15分ほどの休憩があり、和菓子とお茶が楽しめる。その間、先生は60余人の作品(一人一首)をぜんぶ読んで、「天」「地」「人」の優秀作と佳作を7〜8首選ぶ。
 今回のお題は作りやすい題だったようで、いい作品が多く選ぶのが大変だったとの最初のお言葉。選んだ作品から講評をはじめ、全作品に先生は講評をなさる。
 わたしが提出した歌は
「本箱にもたれて眠る老犬はこの世を去りて残影見せる」
残影見せるの最後の七文字がなかなか決まらず、頭をひねったがこれを先生にほめられ、とてもうれしかった。歌を読む人にも老犬が眠っていた姿が目に浮かぶようだ、と。本箱にもたれて眠る老犬の描写もほめられた。いい作品といわれたのも励みになった。
 自分の思いを31文字の歌にして、言葉の連なりを通して思いが伝わったことが最高にうれしい。

 提出しなかった歌も。
「捨てられぬ本があふれる捨てられぬ過去への思い重ねるごとく」
「こどもの頃よく立ち寄りし本屋あり老いた店主に流れし時想う」
「『ノラや』を読み愛犬を亡くした悲しみを追体験するわたしがいる」


歌会の後すぐ家に帰ればよかったのだが、3年9カ月ぶりに表参道界隈を歩いてみた。時間は午後3時半ごろだったが、信じられないほどの人出。道路はぎっしり人で埋まり、空気は熱くよどんで感じられる。あの雑踏に身を置いて、熱中症でよく倒れないですんだと思う。ミネラルウォーターのペットボトルを片手に歩いたのでなんとか事なきを得たのだろう。
 あまりの人ごみに3年9カ月ぶりという感傷にひたることもなく、ただひたすら移動し(一度表参道ヒルズに入り、つけ麺を食べた)、地下鉄表参道駅の駅にたどりついた。東急東横線への乗り換えが大変になった渋谷駅でなんとか電車に乗ることができ、家に帰ったのだがレオが他界してからはじめて駅から家までタクシーに乗った。それほど疲れていた。
 家に着き、ひと息ついてから居間でうとうとしていると、手にレオの毛をさわった感触があり、飛び起きて泣き出した。きっと疲れているからだろうと思い、本格的に眠ることにし、午後6時ころから翌朝の6時までほとんど寝ていた。途中、一度起き雨戸を閉めて戸締りをし、夜中の1時ころまた起きて水を飲み、ふらっと外に出た。下弦の月が上空に雲の間から姿を見せていて、レオがいた頃、よくこの時間、外に連れ出し、この月を見たことを思い出した。疲れていたのですぐ眠りについた。

朝から雨が降っているが、雨が降る前に
今日の庭で咲いている花を撮った
フェアリーという名のミニバラ
レオがいた5月に咲き、切り戻したらまた咲いた


ツユクサの園芸品種で
花も葉っぱも大きい
こぼれ種が駐車場の後ろで芽を出し、咲いた