5年分の歌会の記録を整理した

 日曜の朝は6時過ぎに目が覚め、前と同じ生活リズムにもどった。1〜2週間ほど就寝時間が遅くなり朝目覚める時間も遅くなった。冬季オリンピックの影響だろうか。遅くまでテレビを見ているためかもしれない。
 久しぶりにテレビ体操をして俳句の番組も観た。
 日曜は4年7か月通った明治神宮月次歌会の記録を整理しようと決めていたので、朝から部屋のあちこちにまとめて置いてあるものを引っ張り出した。
 月次歌会は当日、先生から題が出され参加者が1〜2時間で作った歌を短冊状の紙に書いて提出する。その細い紙を10枚並べてコピーしたものが配られ、それを見て先生の講評を傾聴する。そのコピーしたものは歌会ごとに4〜5枚ありそれが4年7カ月分残っている。
 歌会ごとの記録をホチキスで閉じるまでを終え、2013年7月から2014年2月までの自分の歌を書き抜いてワードで打ち込んだ。今になってみると添削したいまたは添削が必要な歌ばかりで、手直ししたものを打った。だが記録としては意味がないかなと思う。へたくそな歌をそのまま残し、添削した歌を並列したほうがいい。手間がかかるが記録にするにはこうしないといけない。
 当座を出したそれぞれの先生の講評の一言二言を書き記した歌もあり、当時より現在のほうがその一言がよくわかる。某先生の「もっと調べのいい歌を作るようにしてください」ということばはこころに沁みる。「事柄だけでなく心を詠むのが短歌」ということばも。
 心を詠もうとすると大げさになってしまい、バランスがとれない。あまりにこころをむき出しに詠むと読み手は引くのではないだろうか。その辺の手加減がわからない。
 しかし記録の整理は大変な仕事だ。まだほとんど打ち込んでいないのにとても疲れた。
 柴犬レオと老犬ももこの祭壇に供えた花が枯れたので庭に出て花を探した。この時期あまり花はなく、白梅の小枝とまだつぼみの沈丁花を数本切った。花を切り終えて駐車場の前の道路を見ると近所の知り合いの親子が幼子ふたりを連れて通りかかった。親子と言っても義理の親子で若い女の人は息子さんのお嫁さんで犬が好きなのでときどき話したことがある。ももこのことを覚えていてくれて、下のこどもが生まれたのはももこがいた頃だったと言った。今年の1月に生まれたそうなのでももこはもう少し前に逝ったと話した。


 赤き花も影は黒し伸びる日におほき影引くシクラメンの鉢