柴犬レオの泣き声

 昨日(7月19日)はレオがあの世に旅立って35日目。レオの五七日になる。
 午前中、電話があり話しているとき、同じ人から電話があったとき、柴犬レオがわんわんと激しく要求吠えをして、その声を聞きながら話したことを思い出した。レオの泣き声がリアルにフラッシュバックした。
 まるでレオがどこかでわたしに何かを求めているように思え、落ち着かなかった。レオが好きなものを遺骨のそばにお供えしようと思ったがあいにく何もなく、氷を浮かべた牛乳を置いて、レオに話しかけた。レオ、寂しいの?わたしが電話で話してレオのことを放っているから。喉がかわいたり、お腹がすいたの?レオが美味しそうに飲んだ牛乳だよ。お線香もくゆらせた。

 昨日も今日も、レオの泣き声が耳にこびりついている感じがある。レオが泣いても何もできない。今はもちろんのこと、レオがいた時もどうだったのだろうか。もう泣かないレオだがつくづく愛おしい。
 昨日の午後はこんなこともあった。近所の高齢犬(ミニチュアダックスフンド)の飼い主さんからケイタイに電話があり、レオを火葬した葬儀社を教えてほしいとのこと。ダックス君が食べた物をしばらくたってぜんぶはいてしまい、それからまったく立ち上がれなくなった(寝たきり状態)。もう長くないと思うので覚悟をしたい。19歳のお誕生日を迎えてから、5か月たっている。
 葬儀社の連絡先を届けながら、ご自宅で話しを聞くとそんなに切羽詰まった状態ではないような気もしたが、高齢なのでわからない。覚悟はしていたが、この夏はなんとか乗り切ると思っていたと飼い主さん。注射器で水を補給しているようだ。何か栄養になるものを口に入れてあげたほうがいいと言うと、牛乳や、好んで食べた物をミキサーにかけてあげてみると。がんばってほしいが、年齢を考えるとあまりがんばらせるのもかわいそうとも思った。ただ、もしわたしだったら、あれこれ手を尽くしてしまうだろう。犬の負担を考えるとあまりやり過ぎずに自然にまかすほうがいいのかもしれない。
 さきほど飼い主さんから電話があり、独立したお子さんたちが家を訪れ、ダックス君を抱いたりすると元気が出て、水を入れた器まで歩いて飲んだとのこと。ただ、注射器で食べ物を口に入れてもしばらくすると吐いてしまい、水だけは飲むそうだ。

 さらに昨日は夕方からでかけて、出会ってから20年来の友人と、はじめての夕食を共にした。レオの泣き声が耳にこびりついていたので、レオの写真をバッグに入れて、いっしょにでかけた。バスや電車に乗り、友人が生け花のお稽古をしているギャラりーまで行った。ここは今年2月に訪れたところ。写真のレオに、この前はわたしひとりで来たけれど、今日はレオといっしょだねと話しかけた。
 2月に来た時は、夕方5時過ぎでほぼ同じ時刻だったが、あのときは真っ暗で風が冷たかった。昨日はまだ明るく、夏の真っ盛り。時間が過ぎたのだなと道にたたずみ、感慨に耽った。
 友だちとは20年ほど前、海外での旅行中に会い、それから陶芸をしている彼女の共同展などに足を運び、工房にも遊びに行ったことがあるが、二人だけで会うのははじめて。同じ年であることがわかり、お互いが驚き、親近感が高まった。話していると、ご両親を亡くされていることなど共通点もいくつかあり、気持ちが通い合う話しができた。
 桜新町の駅近くにある居酒屋に入ったが、この手の店に来るのは3年ぶりくらい。お刺身や水ナス、ゴーヤチャンプルー、広島の酒蔵が作った辛口の日本酒など、すべておいしく話しも盛り上がった。日本酒は辛口がいいと言うと店の人が、女性の醸造家が造ったお酒で、女性向きの辛口の日本酒といってすすめてくれた。うまかった!
 この友だちと楽しい酒席をともにできたのは、柴犬レオの絵を印刷した暑中見舞いハガキを送ったのがきっかけ。レオがわたしをこの場に、この時間に連れて来てくれたような気持になった。スピリチュアルな意味ではレオもいっしょにいたのだが。


 レオが導いてくれたと思われる再会の話しをもうひとつ。
 これは今日のことだ。早朝の散歩に出て、お寺に寄りお墓参りをして、少し遠回りをして帰る途中、コンビニに寄った。買いものをして店を出ると、見慣れた顔の男性が・・・・・・。レオが元気な頃、好きだった犬(女の子)の飼い主さんだ。そのわんこはレオより早く亡くなっていて、死んだことを知らせる愛犬の写真を使ったカードをいただいていた。そのカードは別の犬友だちが飼い主さんより預かっていて、渡されたもので、飼い主さんとはそんわんこが死んでからは会ったことがなかった。
 3年余り前の5月に10歳で亡くなった。その頃レオは13歳で、長い距離の散歩がやっとできていた状態でその後すぐ、そこまで歩けなくなった。もっと近場で散歩するようになった。
 レオがひと月余り前に他界したことを伝えると、あれから姿を見かけなくなったのでもういなくなったのかなと思っていたが、つい最近まで生きていたのですねと言われた。そのわんこの最後の様子を聞き、レオの最後がどうだったかを話した。
 次いつ会えるかわからないが、こうしてレオのことを伝えられたのはやはり、レオがどこかでわたしを導いているとしか思えない。


今日(7月20日)の朝の空
夏の空を見ると、思い出すのはレオがいた昨夏のこと
レオと散歩しながら、空を見上げたり、
朝起きずに午後まで眠り続けるレオを家の中に残し、ひとりで空を見ていた


これは昨日撮った写真
照りつける太陽のもと、梅を干した
今年の梅干しは完熟梅を使ったためか、
皮がやわらかく、引っくり返すと破けてしまうものが多い
でも実はやわらかく、塩味の中に梅の甘みがある


昨日会った友だちからもらったセイロンベンケイソウの葉っぱ
水にひたしておくと、葉っぱのふちから
芽が出て根を伸ばすとのこと
うまく発芽してくれるといいが