奇妙な夢

 明け方、奇妙な夢を見た。わが家でお別れ会をしている。親しい犬が足を痛めてもう外に行けなくなった。その犬のためのお別れ会。
 居間の6畳と、父母の部屋だった(今は仏間になっている)8畳間、続きの部屋で開いている。お膳には食べ物や飲み物が並んでいるように記憶している。
 夢の中でよくおぼえているのは最後のほう。お別れ会の締めくくりに、ある曲をレコードで流し、それにあわせて誰かが(女性だったように記憶)部屋である動作をしている。その人は身体をかがめて、手で部屋の襖に描かれた絵をなぞるような動作をしている。
 ところが曲がまだ終わっていないのに、その動作を突然やめて、その人は襖を開けて外に出て行ってしまう。それを合図に、お別れ会はお開きになり、部屋にいた人たちは玄関に向かう。上がりかまちで、お別れ会の主賓である歩けなくなった犬が背の高い色白の青年になって、お別れ会を開いてくれてありがとうと言う。
 わたしは背の低い色の白い少年と並んで立ち、その言葉を聞いている。少年の目からは涙が滝のように流れている。わたしもとつぜん、会が終わってしまったショックもあり、また少年の涙を見て泣いている。 
 こういう夢だ。いちばん印象に残っているのは、曲が終わらないのに襖絵をなぞる動作をしていた人が突然、動作をやめて外に行ってしまったこと。襖をなぞる動作も不思議な印象を残した。少年の目からあふれる滝のような涙も忘れ難い。
 襖絵をなぞる動作は、他界した柴犬レオがよく襖や障子、ガラス戸沿いに後ろ足立ちになり、前足で犬かきのような動作をしていたことが夢になったのではないだろうか。突然、その動作が終わったのは、わたしの中でレオの死が思いがけないものだったことを表わしているように思える。お別れ会は、レオをみんなに憶えておいてもらおうと四十九日に近所の人を中心としたお別れ会を開こうかと思ったことが、夢になったのではないか。
 レオのお別れ会はいまのところ、やめようと思っている。会が終わった後、いっそう落ち込みそうな気がする。ひとりで後片付けをすることに耐えられない。
 亡き母の初盆に家族だけが集まりお食事会をしたが、母がいかに家族を結び付けてくれる存在だったかを知ることになり、母亡きあとのばらばらになった家族にどれほど寂しい思いをしたか。初盆の後、わたしは再度、体調を崩し、年末近くになってやっと回復したことをおぼえている。
 こんなことがあったので、レオのお別れ会はやめておこう。

 夢の中で、足を痛めた犬は,夢の最後で背の高い色白の青年になっていたが、これはレオが好きだった白いボルゾイ犬をあらわしているように思える。わたしの横に立っていた、わたしより背の低い少年は弟のようだったが、もしかしたらレオが人間に姿を変えて夢の中に出てきたのではないだろうかと思っている。
滝のような涙は、ボルゾイ犬との別れを悲しむというより、自分自身がとつぜん、この世を去ることになったことを悲しんでいるのではないだろうか。もちろん、この涙はわたしの涙であるのだが。


2012年7月9日のレオ(一年前の同じ日のレオ)
この写真には写っていないが、別の角度から撮った写真には
剪定されたガク紫陽花が写っていた
ほぼ同じ時期に剪定したようだ


今日の収穫
桃はまだ熟していないが鳥に取られないように袋掛けをしているとき、落ちてしまった
これだけ赤くなっていてもまだ実は固い
ただ、固い桃の実が好きな人がいたので、いくつかあげた
ドジョウインゲンは、日当たりがいまいちなので、収穫は少なめ