桃の袋掛け

 庭には三本の桃の木がある。駐車場の後ろに2本、レオがよくいた部屋の外に1本。どの木にも桃の木がなっているが、いちばん多いのは駐車場の左後ろの木だ。
 桃の実の色が赤くなっても、果実はまだ熟れていなくて固いものが多い。ところが鳥たちは固い実の中に混じっている熟してきた桃の実を探し当て、(多分早朝だと思うが)どんどん味わっているのだ。朝、木の下を見ると、固い桃はかじった跡があり落ちているが、やわらかい桃は種だけ残して食べているのがいくつも落ちている。
 鳥にならって、桃の実を手でそっと押すと、外観ではわからないが熟している実もいくつかあり、さっそく収穫して食べた。うまい!甘くジューシー。香りもすばらしい。
 こうなると鳥たちにやるのが惜しくなった。日差しの強い昼間は鳥(たぶん、ヒヨドリが中心だと思うがカラスも来ているかも)が訪れることがないので、そのままにしていたが夕方になり、袋掛けをした。といっても、新聞紙を使った手作りの袋なので、10枚くらい付けて今日は終わりとした。たくさん実があなっている枝には、ゴーヤやキュウリに使うネットを被せた。鳥は賢いので桃の枝になにか変なものが掛かっているのを察知すると、寄りつかないだろう。
 今日あわてて袋掛けやネットを被せたのは、三本のうち1本の桃の木から見事に桃の実がなくなり、あんなにたくさんあった桃が2個しか残っていないのに気付いたからだ。放っておくと、他の2本になっている桃も食べつくされてしまうと危機感(?)があった。

 お昼前から午後にかけては、生前の柴犬レオがやっと目を覚ます時間で、お昼ご飯はいつもレオが起きる前か、起きた後おしっこをさせ、食事をあげた後か、その日によって変えていた。スパゲッティを茹ではじめたときにレオが起きて、しかたなくレオを居間から見える裏庭に出し、時間を稼いだこともあった。
 お昼の前後はそういう思い出がいっぱいなので、心が騒いでしかたない。ひとりで昼食を食べていると、つい思い出してしまい、涙で顔がゆがむ。だから、なるべく外で食べるようにしているが毎日というわけにもいかない。今日は家で昼食を食べ、食後のコーヒーを外で飲んだ。亡き母が生前、毎日のように通っていた店だ。母はこの店に来るとなんだか落ち着くといつもお店の人に言っていたそうだ。
 その母の気持ちが今わかるようになった。わたしもこの店に入ると気持ちが落ち着くようになった。母とよくいっしょに来たという思い出もあるし、店に来るお客さんも母のことをよく知っている人が多く、そのことも気持ちをあたたかくしてくれる。

 生前のレオの好物だったカツオのお刺身、あれから食べる気持ちになれず、買わなかったが、今日はなんとなく食べられそうな感じがした。いつもレオと分けあって食べた。でも今夜は一人で食べてみよう。レオのことを思い出して、泣くかもしれないが・・・・・・試してみよう。