不思議な出会い

 東京は昨日、梅雨明けになり、今日も朝から晴天で夏の空がひろがっている。
 ぼさぼさと見苦しく伸びた裏庭に植えたガク紫陽花を昨日から剪定しはじめた。この紫陽花は今年は花つきがそれほどよくなかったが、まだここにいたレオといっしょによく眺めた。というより、昼間レオがいる部屋からもわたしがいる居間からもよく見えるところにある。
 居間の続き部屋がレオのいる庭に面した部屋なので、レオの様子を見ようとすると自然にガク紫陽花や実を付けた桃の木、5月には山紫陽花が咲く庭が眺められた。
 レオの最後の明け方、レオのそばにわたしも枕を置き、添い寝をしながら、もしかしたらレオはこのまま・・・・・・と辛い予感とともに眺めた庭であり、紫陽花である。あのときは雨降りや雨模様の日々が続き庭はしっとりとした風情があった。
 季節が進み、夏空がひろがると伸び過ぎた枝が気になり、昨日からの剪定となった。今日も早朝5時ころから40分ほどレオの写真をバッグに入れて散歩にでかけ、帰ってから剪定の続きをした。今は短くすっきりした紫陽花の木に、夏の光と影がまだら模様をつくっている。
 こうしてひとつひとつレオがいた6月が遠ざかっていくと思ったら、庭で剪定しているとき泣いてしまった。裏庭から家の中を見てもレオの姿が見えないのがすごく辛い。廊下や庭に面した部屋にいるときは、庭仕事をしながら、レオの姿を確かめ、ときには声をかけたりしたから。


 不思議な出会いについて。これは昨夕のことだ。6時くらいにブログを書き終えたわたしはなぜが外に出たくなった。この時間はレオをいつもトイレと気分転換のため、外に出していたからかもしれない。ここちよさうな風が吹く外で誰かと話したくなったのかもしれない。
 パソコンの電源を切らずに(すぐ帰るつもりで)、レオとよく行った用水路(丸子川)沿いに行き、犬の散歩中の知り合いと軽くことばをかわした。さらに橋の方に行くと、ご高齢の女性が歩いているので、あいさつをした(知らない方である)。川べりは風が通って気持ちいいですねと返ってきて、わたしも家の中にいるよりいいですと答えた。
 すると、短歌は好きですか?とご婦人。短歌?ええ好きです。俳句や短歌は好きです。すると手下げ袋から、一冊の真新しい本をさしだして、これをあげます。おもわず手に取ってしまい、でもわたしにこんなご本を・・・・と言うと、あげますと。
 奥付けを拝見すると6月末に発行した新刊本。この方の短歌集だ。お話を伺うと、88歳になられるが40年ほど前から短歌を始めたようだ。
 道で出会いがしら、一言二言の会話で、見知らぬ方からご本をいただくことは生まれて初めてなので、何かのご縁を感じ、その老婦人としばらくいっしょに歩いた。その方のお知り合いに本を渡すところまで付き合い(その知人はわたしも知っている方)、最後はご自宅まで送りがてら一緒に歩いた。
 23年飼った猫が亡くなった話しになり、犬も飼っていたこと、死なれるのは悲しいよと言われた。わたしも愛犬を亡くしたばかりです。
 ご主人は原爆症で若くして亡くなられたこと、養女さんがいること。いろいろなお話を伺いながらの道行き。
 ご自宅前でご本のお礼を言い、深く一礼して別れた。読後の感想などを手紙に書きますと伝えた。
 できればさらに親交をあたためたい方だ。
 その短歌集は「ふぢばかま」というタイトル。短歌をはじめてからの集大成の一冊のようだ。こんな大切な本を道ではじめた会ったわたしにくださるとは!ご高齢の方を見ると、父母を重ねてしまい、見も知らぬ方でもその人の人生に思いを馳せることがある。
 短歌集を読ませていただくと、その方の人生が凝縮されていて心に訴えるものがあった。
 7月は東京ではお盆の季節。亡き父母の人生にも思いを馳せつつ、偲びたい。
  
 レオを詠んだ短歌をひとつ
 「夏の日は庭仕事して過ぎてゆく亡き老犬を心に住まわせ」


 今日はお昼ごろ、弟がやってきて、父母の仏壇にお線香をあげ、レオの遺骨に会ってくれた。2階に行き、何か話したようだが、ぜんぶで30分いたかいないかで帰った。
 真夏の日差しが照りつける午後、何を思ったか銀座ででかけた。NHKののど自慢を放映している時間だ。この番組は父母が必ず見ていたので、この時間が苦手というか思い出してしまう。午後早くはレオが起きるのを待っている時間でもあったので、なおさら家にいたくなかった。
 ブログ友だちから情報で、銀座のギャラリー檜Plusに行った。「掛札 健 はい。」を見てみたいと思ったから。
 日曜の京橋界隈は閑散としていて、真夏の昼下がりはいい雰囲気。ギャラリーもわたしが訪れたときは、他2名しかいなかった。そのうちのお一人が作者で、ゆっくりとお話を伺うことができた。なんで「はい。」になったのか。作品が熟成、完成するには時間がかかること。ここでは詳しく書かないがとても興味深いお話ができた。ありがとうございます。
 帰りは銀座のにぎわいの中にひさしぶりに身を置いた。バッグの中にはレオの写真がある。いつか車でレオを銀座まで連れてきたことがあったと記憶している。あまり長い時間はいなかったが。今日はバーゲン中のデパートを1時間ほど見た後、街歩きをした。文具の伊東屋のビルがティファニーともうひとつ何かのブランドのビルにはさまれて小さく見え、時代の変化を感じた。
 家に帰るのがこわい感じもある。レオがいない家だから。駅からいつもならタクシーに乗り、急ぐのだが、レオがいないので歩いて帰った。

他の作品とは作風が違うように見えたが、初期の作品らしい