柴犬レオの夢

 朝方は曇っていたが日中は晴れ渡り、夏のような天気だった。空はすっかり夏空になっていた。
 昨夜は亡くなったレオが夢に出てきた。夢の中でレオの亡きがらが火葬されるが、実はレオは別の所にいて、箱に入っていたのはレオでなく、まだ生きているという夢。夢の中でレオに食事を食べさせたりする。夢の話しにもいくつか伏線があるがそれは忘れてしまった。
 レオの死を受け止めきれない、受け入れていない為にこんな夢を見るのだろうか。母が亡くなった後も同じような夢を見た。母が亡くなった日に実は母は別の街にいたので、まだ生きているというストーリーだ。その街の名前を目覚めた後もおぼえていて、インターネットで検索すると神奈川県の私鉄沿線の駅名で、そういう街が実際にあった。夢ではわたしは母をその街に迎えに行き、連れて帰り、散歩に行ったりする。やはり、その死を受け入れられなかったためにこんな夢を見たのだろう。
 最近見る母の夢はなつかしさはあるが、わたしを元気づけ、心をほんわかさせてくれる夢が多い。いつかレオもそんな夢の中に現れるのだろうか。

 レオの夢を見たため、母が亡くなった後、父が母の夢を見てそれをわたしには話したことを思い出した。夢の中で母はまっすぐ前を向いて歩いている、父は母を呼ぶが振り返ることなく、父から離れていく、そんな夢だった。父は心底辛そうだった。父のあのときの辛さを思い、わたしの今の辛さとも重なり、お墓参りに行った。父の魂を鎮めるためであり、わたしの気持ちを和らげるためでもある。
 その帰り、レオが生前好きだった女の子のわんこ(もう亡くなっている)の飼い主さんに会った。レオのことを話すと、なんで知らせてくれなかったの?話すと泣き出しそうだから。あまり知らせていないの。実際、レオの死をメールで知らせたのは数人の友だちだけ。後は道で偶然会ったときに話した。
 日をあらためて、家に伺いたいと言ってくれた。彼女の愛犬が亡くなった時、父の介護で大変だったが、ご自宅まで行って話しを聞いたのを思い出した。
 こうしていろいろな人にレオのことを話すうちに、レオがいなくなったことを受け入れられるようになるのだろうか。

雲がきれいな夕暮れの空

桃も色づき始めた

アガパンサスの花
この花を見ると、レオがまだ元気だった昨年の今頃を思い出す