レオの写真の整理

 平成17年の秋にデジカメを買って、「レオとの日々」というファイルを作って、レオの写真を保存してきた。
 レオが8歳のときからだ。ファイルは「レオとの日々2009、11月4日」みたいにデジカメ画像をパソコンにとりいれた日をタイトルにしている。
 一昨年秋からブログをはじめて、写真の量が圧倒的に増え、ほぼ毎日撮っているので、今年のはじめからひと月ごとにファイルを作って整理を始めた。だがあまりはかどらないうちにレオが他界し、今日急いで2012年後半と2013年の分をファイルにまとめた。パソコンは急に動かなくなったらどうしようという不安があったからだ。
まとめたファイルはまだDVDに保存していないがこれは明日の作業にしたい。
 老犬レオの昨年から今年にかけての写真を見ると、衰えぶりが手に取るようにわかり、せつなくなってきた。いっしょにいたわたしはレオの変化を感じ取り、何かしただろうか。今年の春(3月ころ)から、目の縁が涙焼けで黒っぽくなり、眼窩がくぼんでいるようにも見える。レオの顔が小さくしぼみ、辛そうに見える。
 この頃から支えがないと歩けない状態になったのだろう。
 この3月にはてんかんの薬(フェノバール)の服用を止めたのだが、これははたしてよかったのだろうか。そんな気持ちもわき上がった。レオや、お母さんの判断で薬をやめたのだよ。レオにとってどうだったのかな。

 さらに遡り、レオの写真を見るとその衰え方は一年一年確実に進み、ああ、時間は止められないのだなと思った。レオはわたしが決めたことを受け入れてくれる、そう信じたい。レオのためを思ってやったことだから。
 このことだけでなく、こうすればよかったのではないかという後悔がいくつかある。レオの最後の様子、亡くなった経緯を書けないのはそのことがあるからだ。でもレオのためにも、レオはこうしてこの世を去ったと書き留めておきたい。

 午後は車で図書館に行った。ペットロスについての本があれば借りてこようと思ったがあいにくなかったので、予約を入れた。
 書架を見て回り、中野孝次著「ハラスのいた日々」と、いせひでこ著「グレイのしっぽ」を見つけ、借りてきた。
 ハラスの日々はレオがまだ若い頃、犬ともだちに勧められ、読んだ本で、柴犬の子犬を家族として迎え入れ、老いて亡くなるまでを書いている。昔読んだ時はまだレオが若いこともあり、愛犬の死に対して実感がわかなかったが、また読みたくなった。
 グレイのしっぽは、ブログ友のuiriさんから頂戴したご本「グレイが待っているから」の続編で、シベリアンハスキーのグレイががんになり、その闘病生活を書いている。同じ愛犬の死を体験した方が書いた本を読みたい気持ちがあった。