カリンの木を剪定する

 5月らしいさわやかな風が吹きわたるが、からだを動かすと汗ばむ。老犬レオはこの時期ですでに暑さを感じているようだ。前よりハアハアしていることが多くなった。そろそろエアコンの準備をしないと、と思う。自動的にフィルターを掃除するタイプだが、年に一度くらいは中を開けて掃除した方がいいようだ。
 今日はレオが朝4時半ごろ起きたので、わたしもつきあって起き、一日が長くたっぷりとある。早朝、レオを駐車場に出し、ゆっくりと過ごした後は、午前はしばらくパソコンに向かい、その後はほとんど庭仕事をした。
 お隣のカリンの木がぼうぼうに伸びて、枝もたくさん出して葉っぱも茂らせているので、少し前に剪定しましょうかと声をかけていた。亡くなったご主人はわたしの従弟にあたる人で、母の葬儀のときお世話になったが葬儀を終え2週間もしないうちに従弟も後を追うように他界した。そんなこともあり、従弟が植えたカリンの木が伸び放題なのは見ていてどこか落ち着かない気持ちにさせられたし、長い枝がこちらの庭にも伸びてくるもなんとかしたかった。
 わが家の庭にまず脚立を立て、ノコギリで中くらいの太さの幹を切り落とした後、隣家に移動し、その家にあった脚立にのぼり、かなり大胆に太い幹を切り落とした。カリンは木が密な感じだが、固くて切るのに時間がかかるというほどではなかった。ただ、太い幹はかなりがんばって切った。
 幹と枝と葉が密集していたカリンの木が、風通しがよく、向こう側が透け透けに見える状態になった。木を植えた主がいなくなったカリンの木はどこか寂しさを漂わせているが、これはこちらの勝手な思い込みにちがいない。
 というのは隣の奥さんはそんな感傷など露ほどもないようで、わたしも感傷にひたることなく、剪定した枝を燃えるゴミとして出すための作業を淡々と進めた。奥さんからこの木は30年くらい前、世田谷のぼろ市で手に入れたこと、従弟がよく手入れをしていたこと、カリンの実がかなりできてカリン酒を作ったことなどを聞いた。
 いつのことかは憶えていないがこの木にカリンの実がなっているのを見たことはあった。
 カリンの木のかたわらには、枯れかけたクチナシの木があり、従弟がいつの日か、さし芽にして増やさないかとわたしに言ったことがあった。そのクチナシは従弟の母親ゆかりの木で、これはおばあちゃんが植えたんだよと言った。わたしは家に八重のクチナシが何本もあるからとことわったが、あのとき、そうだねと言ってさし芽をすればよかったように今は思う。何本もあるにしても、叔母ゆかりのクチナシだからそれは別なのである。従弟がこんなに早く亡くなるとは思わなかった。もし今も健在だったら、クチナシの話しはたぶん忘れていただろう。


 朝早く起きたレオは朝ごはんも早く食べたので、今日は動物病院に行けそうだと思った。電話をしてレオの状態を話し、フィラリアの薬を飲ませる前の血液検査をしたいがどうだろうと獣医師に聞くつもりだったが、あいにく動物病院は臨時休業だった。
 いつになったらレオを連れて行けるだろうか。フィラリアの薬は飲まさないといけないだろうか。獣医師に聞くしかなさそうだ。


昔から庭にあるアジサイ
色づいてきた
西日本の一部では梅雨入りしたようだ


夾竹桃の木の足元には
ドクダミの花がいっぱい
例年だと花が咲く前に引き抜くのだが
今年は手が回らなかった