薔薇の香りから

 鉢植えの現代バラ’スブニール・ド・アンネフランク’が一輪だけ咲いた。つぼみがとても大きかったが開いた花もはなびらが幾重にも重なり、こんな花だったかと思った。
 顔を寄せて匂いをかぐと、クラシックな香りがした。遠い昔に夢の中で食べたおいしいお菓子みたいな香りと思った。薔薇の香りからこどもの頃のことを思い出した。
 このあたりには温室が多く、自宅のすぐ近くにも大きな温室があった。その家ではかなりの広さの土地を使って露地植えのバラを栽培していて、その敷地は自由に出入りできた。小学生のわたしはその敷地を歩くのが好きだった。通路には温室で燃やしたコークスの燃えカスが敷き詰めてあり、歩くと音がした。ガサガサという音だったか。
自分の足が踏みしめて起きるその音を聴くのも好きだった。ときどき薔薇の花の香りをかいだことも憶えている。
 その家には別にガラス張りの温室がいくつかあり、そこでは熱帯植物や果樹を栽培していた。ある日、学校の友だちを連れて温室に遊びに行った。そのとき、温室の持ち主のおじさんが友だちが来たのを歓迎してか、温室内で栽培しているバナナをひとつあげた。それを見て、友だちをうらやましく感じた。
 その友だちと、県境を流れる近くの川の河川敷にスケッチブックを持ってスケッチに行ったことがある。何を描いたのか。多分、川にかかる鉄橋、丸子橋を中心にした風景を描いたのだと思う。草の上に座って絵を描くわたしたち二人の側を通った大人が絵を覗きこんで、友だちの絵を褒めたのを憶えている。わたしは子ども心に傷ついたというか、友だちに軽い嫉妬を感じたように憶えている。
 その友だちとは小学校卒業後、ほとんど会わなくなった、友だちは私立の中学へ、わたしは地元の中学に進学したから。
 歳月が流れ、その友だちは結婚し、こどもができた。父親の葬儀のため、実家を訪れたとき、葬儀を終えた夜に倒れ、他界してしまった。これはわたしの母親から聴いた話だ。
 その後、友だちの弟も病気で他界した。わたしはこどもたちに先立たれた親御さんのことが気になっていたが、結局、この世にいる間に会いに行くことがなかった。
 友だちとの思い出話など、親御さんに話したら、どうだったろう。亡くなったこどものことを思い出し、辛いのではないだろうか。それとも亡き娘の友だちが訪れることを喜んだだろうか。いまになってはもう何もできないが、今日、薔薇の香りをかいで友だちのことを思い出した。
 小学生の頃、よく学校からの帰り、友だちに家に遊びに寄ったことも思い出した。友だちの家から自宅に帰る道筋に、河川敷や川向こうの街並みが眺められる切り通しがあり、そこからきれいな夕焼けを眺めた。
 小学生のわたしと仲良くしてくれてありがとう。あれから会えなくなって、そのままになってしまったね。ごめんね。


一輪だけ咲いた'スブニール・ド・アンネフランク’

コデマリが庭を彩る



 今日の老犬レオは朝9時ころ起きた。朝ごはんに出した、ゆがいた鶏モモ肉は好きでないのか、それとも大き過ぎたのか、口からぽろぽろ落してなかなか食べなかった。薄切り牛肉も少しあったので出したがこちらは全部食べた。
 口を開いて食べることができなくなった。口をもぐもぐさせて食べたそうにするが、口で食べ物をくわえることができない。食べ物は小さくして、レオの口の中に入れてあげると、噛んで飲みこむ。水は舌先を使って飲んでいる。だが朝起きたばかりとか、調子が良くないときは水を飲む力も衰える。ゆっくりと時間をかけて飲ませるしかない。時間的には朝より夕方、さらに夜のほうが水を上手に飲めるようになる。
 車で少し離れた商店街まで行き、レオが好きな牛肉を買ってきた。いつもより2倍弱の価格のものを奮発した。好きなクロワッサンも買ってきた。
 夕ごはんはやわらかい牛肉をプランパンで軽くあぶったもの、煮こんだ野菜(ニンジン、ズッキーニ、セロリ、小松菜)とチーズ、クロワッサンを食べた。出したものは全部食べてくれた。


駐車場から道路へ、なんとかブロック塀を離れて
立ち上がろうとする
この後、立ち上がり、くるくる回りながら少し歩き
また壁に倒れるように寄りかかった