ちょっと出かける

 朝は冷え込んだようだがお日様が顔をのぞかせると、おだやかな秋の一日になった。
 老犬レオは昨夜1時過ぎに起き、外にトイレに行ったがその後は朝8時ころまで寝ていた。ただ、1時過ぎに起きた時も、朝起きた時も、なかなか立ち上がれず、わたしが手を貸してやっと立ち上がった。おしっこやうんちがしたいとき、目を覚まし、起き上がろうとしてなかなか起きられない。その姿を見て、かわいそうでたまらなくなった。
 人間だって、自分の足でトイレまで歩けないというのはすごく辛いことだ。がんばって起きようとするレオの気持ちが痛いほどわかるので、いたたまれない。
 今日はわたしの手を借りながらも、道路に自分の足で出て、用を足すことができた。食欲はあまりなく、鶏挽肉のつみれ焼き(山芋、セロリ葉、にんじん、溶き卵)を一個、小さくいくつかにちぎって、口に押し込むようにして食べた。いつもなら、2個は軽く食べる。
 ただ、こちらの不手際だったが、レオは朝起きてすぐ、外で大のほうはしたがしばらく外にいても小はしなくて、そのままに家に戻り、食事を出した。食後、すぐ外に行きたがり、道路に出したらおしっこをした。おしっこをさせてから、食事をさせればよかった。
 レオが眠ってから、ちょっと外出した。レオの防寒着をフリースで作ろうと、以前買った夏用のタンクトップを参考に型紙を作った。フリース生地と、ネクタイで作るネックレスの材料を揃えるために、ユザワヤに行った。
 あまり乗り慣れていない路線なので、乗り換え駅を乗り越したりしたが、買い物を無事にすませ、戻ってくると、駅前で町のフェアを開催していた。
 改札口を出たところの広場では、コーラスのコンサートが開かれ、荒井由実の「やさしさに包まれたなら」を歌い始めた。駅前のゆるやかな坂道は自動車の乗り入れを規制して、テントが張られ、いろいろなお店や展示、フリーマーケット、屋台が並んでいた。ひやかしで見ながら歩いていると、小学校の母校の同窓会のブースがあり、立ち寄った。同窓会名簿をめくっていると、声をかけられた。同窓生ですか?
 そうです。母も母の兄弟も、わたしも弟も、この学校の卒業生です。名簿の住所が正確か確かめるように言われ、まず自分のを探した。31期生で、住所はあっていた。職業も記載してあり、自分で申告したのだろうが記憶にないので驚いた。
 母の年齢を言うと、第一期生といわれ、探すとその通りだった。最初は分校としてスタートした、そのいちばん初めの新入生だった。2年後、本校となったようだ。
 青い塔がある分校時代からの校舎は、大正時代の香りがする洋館風の建物だ。
 母にも小学生だったときがあった。当り前のことだが、どんな子供だったのだろうと思った。会ってみたいな、小学生の頃の母に。
 このフェアに寄り道してよかった。
 こどもの姿が目立ったが、こどもの生活にも明暗がある。ほとんどのこどもは両親や祖父母など大人に連れられて、好きなものを買ってもらったり、くじ引きの列に並んでいたり、道路で友だちと焼きそばを食べていたり、こども同士で遊んでいたり、楽しそうな様子だったが、1人だけ、幼い弟の面倒を母親から頼まれたのか、道路に座って、抱きかかえている子がいた。他のこどもたちが遊んでいるので、遊びたいのでは、とも思った。
 家に帰るため、駅の反対側に行くと、偶然、小学校で同学年だった幼なじみと会った。彼には小学校の頃、勉強のことでひどいことを言ってしまい。翌日、登校中の道であやまったことを憶えている。大きな声で相手の名前を呼び、走り寄って、こめんねとあやまった。あんな素直にあやまったのは大人になってからはないかもしれない。

 家に帰るとレオはソファとアルミサッシの間の狭いすきまに入り込んでいた。いつからだろうか。あわてて身体を引きだし、帰ってきたから大丈夫だよと声をかけた。
 おそいお昼ご飯をわたしが食べたついでに、レオにも牛肉を焼いて少しあげた。
 夕方の散歩はもう暗くなっていた。南の空に三日月が出ていた。レオは駐車場の2段重ねたブロック塀沿いをぐるりと時間をかけて歩き、道路に出たが、寄りかかるものがないと不安定なので、わたしの脚を支えに歩いた。
 急に足腰が弱り、食が細くなったレオ。不思議と歯ぎしりは起こさなくなった。抗てんかん剤は20〜24時間おきに6分の1錠を飲んでいる。獣医師によると効くか効かないか、くらいの量だ。