父のふるさとから

 午前中、亡き父の姪(わたしにとって従妹)から電話があった。父のいちばん上の姉が亡くなり、その葬儀の折り、父が他界したことが話しに出て、それを知らなかった遠い親戚の人が、父のお香典を送りたいと言ったようだ。もう2年たっているので、気持ちだけいただき、辞退したいと言ったがもう送ったとのこと。
 それなら、有難く頂戴するということになった。
 父は若い頃(たぶん20代のはじめ)、生まれ故郷を出て、叔父を頼って東京に来た。詳しい事情は知らないが、生家を飛び出すように出たらしい。父の母親は、父が結婚する前に他界し、そのこともあってか、わたしたち家族は父の生家に行ったことがない。父の父親は一度だけ、こちらの家に泊まりがけで来たことがある。
 母や弟は父のふるさとを訪ねたことがある。旅館を経営している親戚があり、秘境の湯として有名なところなので、観光旅行も兼ねて行ったのである。わたしは一度も行ったことがなく、話しに聞くだけだった。
 そんな父の故郷でどんな親戚の方がいるのか、よくわからないところがある。ただ、父は妹たちをかわいがり、こちらによく遊びに来ていたし、妹のこどもを預かって1年くらいわが家で暮らしていたこともあった。今日、電話があったのはこの姪(わたしにとって従妹)からだった。
 生前の父はふるさとに帰ることはほとんどなかったが(母と妹の葬儀のときだけ帰った)、よく親戚の人たちに電話をかけていた。特に年末になると毎日のように長電話をしていた。親戚の人たちの近況を知りたいから、だったのだろう。年賀状はきちんと出し、冠婚葬祭の際はよく書き留めを送っていた。帰るところがなくなった、ふるさとでも、父にとって、ふるさととの結びつきをいつも確認していたかった。
 2年ほどおくれて送られてくるお香典は、父の生まれ故郷を思い出すきっかけになった。父は父なりに自分のふるさとや、血がつながった人たちを大切にしていたのだ。その想いは、父がこの世にいたときより、強く感じるようになった。

 老犬レオは昨夜は珍しく、起き上がって歩きまわったり、狭い所に頭をつっこみ泣いたり、おしっこをすることはなかった。ただ、寝たまま、仰向けになって手足をばたばたさせる発作のようなものが2回ほどあった。起き上がりたいのかと思って、最初は立ち上がらせようとしたが、違うみたいで手足をばたばんたさせ、顔をのけぞらせる。腕をまわして抱きよせ、腕枕して顎のあたりをなでてあげるとおさまるので、そうしてあげた。
 だがレオの頭が重く、腕を外すと発作がはじまり、また腕枕・・・・こんなことを何回か繰り返した。
 小雨が降っているので、外に出しても長い時間はいれなかったが、午前中、一回だけ外でおしっこをした。
 

ひとつだけ咲いた乙女椿を
写真を観て描いてみた