立春の日に

 立春の今日、文字通り、こちらではあたたかくお昼ごろからは日差しも出た。だが明後日はまた雪が降るかもしれないという天気予報、やはり名のみの春なのか。
 ただ、庭に植えっぱなしの球根は次々と芽を出した。クロッカス、スイセンが数センチにも満たない芽を太陽の光に向けて伸ばしている。雪柳は小さな小さな花芽を小さな小さな新芽の中にひとつひとつふくらませている。白梅も丸いつぼみの先から白い花色を覗かせ、暗くなってから見ると星をちりばめたようだ。
 わが老犬レオは、あいかわらず夜中から早朝の間、1〜2時間起きるので、お昼ごろまで眠っている。レオの一日はお昼前後に始まることが多い。起きてから夕方まで調子が悪く、比較的調子が良くなるのが夜になってから。
 今日はレオの調子もそうだがわたしの調子も悪い。昨夜は確かに睡眠時間が短く、レオが起きて廊下を歩いている間の1時間うとうとし、その後レオと4時間眠った。朝起きて、レオがまだ寝ている間、高枝鋏で梅の木の剪定をしたのが良くなかった。上を見上げる作業を続けるうちに妙な浮遊感が襲い、気分が悪くなり、そのままずっと午後いっぱい調子が悪かった。
 夕方、レオといっしょに自室で横になった。こうして横になっていると、レオの気持ちがわかる感じがした。元気な人には老いて体が不自由な犬の気持などわからないのではないか。調子が悪いと、いくら陽気が良くても外に行くのはたくさんだし、歩けと言われても歩きたくない。わたしはこういう状態のレオに歩きなさいと無理強いしてはいないだろうか。レオの様子を見て、すぐうずくまってしまうとき、わたしの脚にからみついて離れないときは早めに家に戻るようにしているが、犬の気持ち、状態がほんとうのところわからないこともある。
 レオと部屋で横になりながら、夕方(週に2回ほど)車にお豆腐やその加工品、ちょっとした食品などを載せてやってくる豆腐屋さんのラッパの音(チャルメラか)を聞いた。この音を聞き、2010年の夏を思い出した。真夏の同じ時間はまだ明るく光があふれる自分の部屋で、その日もレオと休んでいた。父が病院に入院し、ほぼ毎日の病院通い。手作りのデザートやスープなどを毎日、持っていった。そんな日々の中で、レオと久しぶりにのんびり過ごした。レオの横に添い寝するような感じで横たわっていたとき、ラッパの音が聞こえ、レオと過ごしたこの夏の夕方を心に刻み込もうと思った。元気でわたしといっしょにいる夏を。
 2年半ほど前の夏を思い出し、今日の立春の夕方、レオといっしょに部屋で横になってラッパの音を聞いたことも憶えていようと思った。