さよなら、リュウ君

 最高気温が20度と天気予報で言っていたが、日中は予報通りのあたたかさ。老犬レオが起きたのは午後12時半ごろ。お昼ごはんを食べていたわたしは、レオをとりあえず玄関の外に出し、急いで食事を終え、いっしょに道路に出た。
 家の前だけでくるくる回っているよりは、少しでもいいからいつもと違う所に行こうと思い、レオを抱いて用水路にかかる橋に行った。あまり調子が良くないみたいで、大周りに回って歩くがすぐ休んでしまう。
 目の前の床屋さんの奥さんと話し込んでいる間、レオは立って休んでいた。御用聞きをして配達専門の魚屋さんがこの春、亡くなったことを聞いた。わたしがこども頃からその魚屋さんが家に出入りしていて、近くの商店街に別の魚屋さんが開店した時はしばらく(10年以上)家に来なくなったが、その店が閉まってからはまた家に来てくれていた。父母がいた4〜5年前まではほぼ毎日、御用聞きに顔を出した。
 その魚屋さんは、亡くなったわたしの母の霊前にお焼香をするため足を運んでくれたのに、病気になってから母が亡くなったことを忘れてしまい。お母さん元気?と聞かれたこともあった。父母の思い出につながる人がまたいなくなったことに寂しさを覚えた。
 その寂しさの後にまた、別の寂しさを感じる出来事があった。
 話しこんでいる横を、レオの先輩犬の柴犬リュウ君の飼い主さんが自転車で通りかかった。自転車を降りたので、リュウ君どうですか?と声をかけると、リュウは11月初めに死んだのと返ってきた。
 リュウ君の飼い主さんとかなり長い時間、道端で話した。リュウ君の最期のこと。その1週間前くらいから、寂しがることが多く、くんくん泣いていたこと。飼い主さんは亡くなる前日、家事をしている間も、リュウ君をその部屋に抱いて連れてきてほぼ一日いっしょに過ごした。リュウ君に「今日はずっとリュウといっしょだったね」と話しかけたそうだ。夜も横に添い寝をした。その明け方、大好きな息子さんが宿題を忘れたかとかで部屋にやってきて、その姿を見て安心したのか息をひきとった。
 この夏にはリュウ君もいっしょに家族旅行にでかけたそうだ。例年だと、犬もいっしょに泊れる部屋がとれなくて、リュウ君を知り合いのペットショップに預けてでかけていたが今年はたまたま部屋がとれた。いい思い出ができたので、もうしかたないかなと思うようにしても、まだまだ元気でいてくれると思っていたので、飼い主さんはかなり気落ちしていた。
どんな状態でもいてほしい。いるのといないのでは全然違う、という飼い主さんのことばが胸を打った。
 もともとはご両親が広島でリュウ君を育てていて、亡くなった後、娘さんである飼い主さんが引き取り、こちらに来た。ご両親の思い出とも重なるので、感じる辛さや寂しさはひとしおだろう。わたしもレオと父母といっしょに暮らしていたので、人ごとではない。父母がいた日々をレオとともに過ごしてきたのだから。
 飼い主さんはいくら話しても話しきれないみたいで、その気持ちがこちらに伝わってくる。レオが道路で眠ってしまったので別れたが、できれば何時間でも話を聞いていたかった。
 17歳と3か月の命を燃やしつくした、柴犬のリュウ君。その短いような長いような一生の間に、飼い主さんが変わり、暮らす場所も変わって、大変だったね。でも新しい家族に愛されて、新しいお母さんにやさしくしてもらって、息子さんという仲の良い友だちもできてよかったね。
 先に逝ったおじいちゃん、おばあちゃんと天国で会って、僕がんばったよ、でもまた会えてよかったなあ。もう会えないかと思ったから、なんて言っているだろうか。

淡いピンク色の小菊が咲き始めた

秋になり、色味が深くなった千日紅とバーべナ

コンテナに、パンジー3苗を植え
小さなヒヤシンスとムスカリの球根をたくさん埋め込んだ
ヒヤシンスは白、ピンク、青、黄色など色とりどり
4月にはカラフルなコンテナになるはず