いろいろ思うこと

 誕生月である2月になった。今日2月2日は父の命日。思うことがいろいろある。2月は命が躍動を始める春の前、内省し、力をためる月なのかもしれない。わたしの場合は内省というより、あれこれ思いめぐらすといったほうがいいか。
 昨日、老犬レオを駐車場で歩かせているとき、近所の女性が通りがかり、立ち話をした。この方は30年以上前にこの界隈に引っ越してきた。わが家の隣は親戚の家で、昔のよろずや、お菓子、食品、生活雑貨などすべてがそろう店を、戦後ずっと営んできた。
 母の父親違いの姉がその店の店主だった。近所の女性はその叔母の話をしたのだ。その前に、わたしの母やその妹の話しになり、母は近所でも評判のおだやかなやさしい人柄だが、妹たちは言いたいことをはっきり言う強い性格で、煙たがられることもあり、わたしは母ではなく、妹たちの性格を引き継いでしまったと話した。
 するとその女性が叔母(母の姉)のことを、あの人もやさしい人だったと思い出話をしたのだ。その女性のこどもがお店で、くじ付きのお菓子を買うとよくあたったそうだ。もうひとりのお店の人は一人でそんなにあたったら、他の子たちがあたらないじゃないかと文句を言ったそうだが、叔母はいつもにこにこして「サンキュ。また来てね」と言ったそうだ。
 美人で背も高く、やさしい性格で、すべてそろっている、と叔母のことをほめてくれた。そんな叔母だが、生まれてすぐ生母と生き別れ、継母に育てられ、老舗の和菓子店の一人娘として気に染まない婿をとり、二人のこどもを産んだが、昭和21年の東京大空襲の日に、父親も夫も家もすべてを失った。叔母とこどもたちは実家(生母がいる)に里帰りしていて助かったのだ。
 叔母の笑顔、やさしい声がよみがえってきた。叔母が母に贈った日本人形が今も家にある。叔母は下町(深川)で生まれ育ったので、三味線を弾き、小唄をうたった。母はよく聴きに行った。わたしは一度も聴いたことがない。いま思えば一度、叔母が小唄を歌うところを観たかったし、聴きたかった。
 喜んでくれただろう。
 母のメモ書きには「粉摺唄」「白頭山節」「さんさ時雨」「米山甚句」「喜代節」などの演目を、叔母が披露したことが書いてある。

 父の命日なので、家に咲いた紅梅の枝を数本持って墓参にでかけた。数日前、お花は新しいものを供えてある。それに今日は紅梅を添えた。
 墓地は数人の人影を見かけたが閑散として、枯れたままの花が目立つ。
 帰り、枇杷の木につぼみだろうか、白っぽいものがたくさんついているのを見かけた。メジロが訪れていた。枇杷の花はいつ咲くのだろう。
 父の命日に思うこと。その前夜、父に食欲があり、わたしが用意したものでは足りなくて冷蔵庫からいくつかの食べ物を出して、追加したことを思い出す。
なんでもミキサーにかけてどろどろ状態にしないと食べられない父だった。いつもなら、土釜でお米からおかゆを炊いて、さらにそれをハンドミキサーでつぶして食べていたが、亡くなる前夜は時間の都合がつかなく(おかゆを炊く時間がなく)、レトルトのおかゆをミキサーにかけ出した。それが水っぽくて食べにくいのでトロミをつける粉をたくさん入れて食べてもらった。
 あまり美味しくはなかっただろう。おいしいおかゆを食べてもらいたかったと今でも思う。
 いろいろ思うことはあるが、まだ書けない、書く気になれないこともある。

今日の最高気温は5月上旬並みの20℃くらい
このあたたかさで、玄関脇の紅梅もほころびた
といっても一分咲きかな


紅梅の枝を何本か切って
絵を描いてみる
 



日本水仙が咲き始めた