この秋はじめて秋刀魚を食べる

10月に入ったのに今日の蒸し暑さはなんだろう。

秋という季節がだんだんなくなるような寂しさを感じる。

引き続き、庭にはスズメバチの働き蜂がやってくる。

午前中、めだかにえさをやるため、庭道の脇に置いた水がめの横にしゃがんでいると背後に羽音が聞こえた。背中のそばをスズメバチが飛んで行ったのだ。

 すぐ立ち上がり、花壇のほうに行くと飛んでいた。スズメバチは他の蜂とはまったく違う。こんなに羽音がすごいのはほかにはいない。

 もう一つの水がめに棲むめだかにもえさをやりたかったがやめて家に入った。小一時間ほど庭にいたので、いなくなったのを確認してえさやりをした。

 えさやりを中断して家にいる時、友だちから電話があり、老いた柴犬の話を聞いた。睡眠薬と抗てんかん剤を飲んだため朝になっても目を覚まさなかった犬がなんとか目を覚まし、最初はほぼ寝たきりだったが今は自分で立ち上がるようになったという。食事はミキサーにかけた流動食のようなものを大きめのシリンダーに入れて流し込んでいるようだ。

 電話から犬のうなるような声が聞こえる。ときどき吠え声に変わる。お腹がすいているのかもしれないと友だちと話して早めに電話を切った。

 夕方近く、車で駅前のスーパーマーケットに行った。この秋一度も秋刀魚を食べていなので今日こそはと思った。亡くなった母親と9月に食べた思い出がある。母の妹(わたしにとって叔母)がその年の4月に亡くなり、9月に姉妹兄弟が集まりささやかな食事会を叔父の家でひらいた。その時、養老院に入っていたもう一人の叔母が秋刀魚を食べたいとリクエストしたのだ。養老院の食事には秋刀魚が出て来ないと話していた。

 母はその時食欲がなくて秋刀魚も他の料理もほとんど食べなかった。わたしはそんな母が心配だった。だが養老院から一時外出をしてきた叔母のことも心配で、どちらかというと母のことよりも面倒をみたかもしれない。今思うと、もっと母のことを気づかってあげればよかった。母とこの叔母は翌年1月の同じ日に他界した。

 姉妹が同じ日に亡くなるなんて、そのときはもちろん思いもしなかった。

 駅前のスーパーマーケットの秋刀魚は小ぶりでしかも高価だった。この秋秋刀魚を食べるのは一回でもいいと思い買ったが油がのっていない秋刀魚を見て寂しくなった。

 12年前の秋に母と食べた秋刀魚は1,5倍くらい大きくて太って油が乗っていて身がやわらかく、とてもおいしかった。

 なんで秋に秋刀魚が食べられなくなったのだろう。

 夕食の秋刀魚はそれなりに美味しいが昔の秋刀魚とは比べようもない。やせていて身がパサパサしている。秋刀魚も海の状態が悪いのか栄養がとれないようだ。

 

巡礼者を迎え見送る猫をりぬバスクの村のサンチャゴへの道

 

水引の花の紅色秋陽をあび濃き色となる神無月かな