「老人漂流社会」

 というテレビを昨夜見た。記憶に基づいて書いているので細かいところは間違っているかもしれない。年を重ね、病気になった高齢者が安心して身を寄せるところがない日本の現実をえぐり出している。
 88歳のご老人は、お子さんがなく、運送業を営みながら、奥さんとふたり都営アパートで40年近く暮らしていた。何年か前奥さんに先立たれ、ご自身が病気になり入院したことで、ひとりで生活ができない状態になった。食事やトイレなどの介助が必要になったのである(要介護5だったと思う)。
 退院してもアパートでのひとり暮らしは無理になったが、現在、病気ではないが介護が必要な高齢者を受け入れる病院がだんだん少なくなり、いわゆる長期療養患者向けのベッドを何年か後にはゼロにする方向で国は推し進めている。その代わりに、そういう高齢者の受け皿は自宅療養にするというのが国の方針だ。
 この方のように介護してくれる家族のない人は退院後、行き場所がなくなってきた。この方は1か月のショートステイを4回繰り返した。ひと月ごとに施設を点々とするわけだ。4回目の施設に移ってきてから、やっと、長期に入れる施設が見つかる。介護付き高齢者住宅という。ただ、ここは月14万円ほどのお金が必要なため、国民年金ではまかなえず、生活保護を受けることになる。この住宅に引っ越す前に妻と40年近く暮らしたアパートを取り払う。
 40年の歴史の積み重ねは数時間で消されてしまう。もちろん、このご老人の心の中の歴史は消えることはないだろうと思うが。
 このご老人の表情は胸をしめつけられる、何かがある。どこにも安住できない辛さ。頼る人がいない心細さ。
 わたしがこの番組を最後まで見てしまったのは、老人問題に興味があるからではない。実はこのご老人の表情に、数年前の父を見たからだ。
 父はあるていどの年金に恵まれていたし、自分の家を取り払ったわけでもないが、同じような表情をしていた。目がよく似ている。心細さ、不安、よるべなさ。
 年をとり、病に倒れ、体力が衰えるということ。自分の命が細っていくという自覚から父はこういう目をしていたのだろうか。父の人生の支えであった母が亡くなったことも大きかっただろう。
 娘(わたし)がいても、その心細さ、不安は軽減されなかった。わたし自身、父が入院していたとき、体の不調を抱えていたし、じゅうぶんに対応できないときもあった。
 自分のことが自分でできなくなった高齢者が頼れるのは、家族、お金だと老人問題の専門家が番組で言っていた。両方ともない高齢者が増えているが、そういう方の受け皿がじゅうぶんでない。
 このご老人は運送業を営む間、時間を守る仕事ぶりを評価され、80歳近くまで働いていたという。自分の仕事を真面目にきっちりとやって生きていた方が老後に行き場を失うという社会は、どうみても福祉不在としかいいようがない。人生の最終章でああいう心細い目にならざる終えない社会。社会の問題であり、介護する方の問題もあるような気がする。父の心細そうな目を思い出すにつれ、目がしらが熱くなってくる。
 少なくとも家族にだけはああいう目の表情を見たくないと思っていた。


老犬レオは昨夜も深夜過ぎ1時間あまり起きていた。玄関の土間の隅に立ち、前足でがりがりする。後ろ足だけで立ち上がり、そのまま後ろに倒れそうな姿勢になる。興奮がおさまらないので、抗てんかん剤を飲ませた(前に飲ませてから12時間しかったっていない)。薬を飲ませてからしばらくたって、眠りについた。
 目覚めたのは12時前。外に出すとお友だち犬が家の前を通ったので飼い主さんと立ち話。レオはわたしの脚を支えに歩くか、ブロック塀に寄りかかっている。
 レオの食事を少しだけ見直すことにした。いままでは一日2回あげていたが、それだけではカロリーが足りない感じがしたので、プラスアルファでおやつをあげることにした。ただ、もともと胃腸が弱いので、やたらに食べさせるのもお腹を壊しても元も子もなくなる。様子を見ながら、市販のおやつ(鶏胸肉のジャーキーなど)をあげることに。


友だちにあげるネクタイネックレスを作った
友だちはうさぎ年なので、ウサギの模様のネクタイを選ぶ
ブルーやグリーンが好きなので、
こんな配色にした