冬の木立

 昨夜の老犬レオは、2時ころ起き、4時前まで部屋の外の廊下や玄関の土間を歩いていた。わたしは途中まで起きていたが少し眠ったみたいで、目が覚めた時はレオは土間の隅に頭を下げて立っていた。
 廊下にしたおしっこをきれいにふき取り、レオを抱いて寝かせた後、わたしも眠りについた。
 午前中に起きたレオは昨日よりは調子が良くないみたいなので、トイレだけさせ、早目に家に戻った。朝ごはんもまあまあ食べた。水やお湯で薄めた牛乳も飲んだ。水を飲ませるときは、飲む間立っていられないので、左手でレオを支え、右手に器を持って飲ませている。
 食後のトイレも外に連れて行き、すました。家に戻るとお腹がいっぱいになったので眠るかと思いきや、興奮して狭い隙間に入り込み、前足で壁などをがりがりひっ掻いている。あ〜あ〜と不満そうに泣いているので、どうしたのとなだめても泣きやまない。
 今日は日差しがあたたかく、午後からでかけるつもりだったので気が気でない。家を出るのがあまり遅いと帰りが暗くなる。狭い隙間に入ったまま出かけると、帰るまでそこから出られないので、レオを隙間から出すがすぐ入ってしまう。数回出した後、しかたないとでかけた。
 いつもと違う経路で駅まで行く。行きはバスに乗り、帰りは駅から歩いた。
 電車に乗って車窓からの眺めを楽しんだ。県境を流れる川が眺められる高台に4月は桜がきれいな公園があるが、電車から眺めると冬木立ちの向こうに夕暮れ近くの太陽が見えた。濃いブルーの太陽だ。太陽と冬木立ちの眺めはドラマが感じられ、美しかった。その横には、メタセコイヤと思われる、細長いツリー型の木がすくっと空につきささるように立っている。その樹形も彫刻のように美しかった。そして、その横には教会の建物・・・・・・。
 公園の中にはこの教会が眺められる場所にブランコがあり、小学生のわたしは学校の帰り、そこでブランコに乗るのが好きだった。教会に向かってブランコを思いっきりこぐ楽しさ。
 日曜日にレオと散歩に行くと、この教会の鐘が河原まで響いていたのを思い出した。
 駅からの帰り道。道路はところどころ、凍結していた。除雪をしないと、雪がかちんかちんに凍りつき、そこが日陰だとなかなか溶けない。
 家に着くと、レオはこたつ布団の上に眠っていた。よかった。狭い隙間に入っていなくて。微笑んでいるかのような口元をして眠っているレオをしばらく眺め、あまり気持ちよさそうに寝ているので声はかけなかった。