海辺の町の23時間

 8月8日(木曜日)の11時過ぎに東京駅八重洲南口を高速バスで出発して、千葉県の千倉駅前に着いたのが午後1時40分頃。およそ23時間、千倉に滞在した。
 駅前からタクシーで向かった病院は、家々と田園風景がつらなる静かな環境の中にあった。
 友だちが入院棟の玄関に迎えてくれた。声も笑顔も変わっていなくて、元気そうに見えたがやせていた。友だちとは出会ってから40年弱になるが、会っていたときはいつもふっくらしていた。
 入院棟は一階建てで、友だちの病室はいちばん奥の角にあり、庭に面した広いベッドのある部屋と、入り口近くの和室の2部屋あった。庭には竹林が横手に見え、目の前には濃いオレンジ色の実がなったザクロの木が植えられていた。院長先生の好みで病院の敷地にはさまざま種類の果樹が植えられているそうだ。院長先生(女性)は40歳代でこの病院をはじめる決意をし、地域に根差し、自宅で面倒を見られないような患者さん(特に高齢者)が安心して過ごせるような病院をつくりたいという思いに共感した地主さんに土地の寄付を受け、病院を創立した。
 ベッドで横たわる友だちと、積もり積もった話しをたくさんした。この病院に入院したのは今年の4月で入院してすぐ、東京の老人ホームに入居したお母様が病気になり、病室に荷物をおいたまま、東京に戻り、ほぼ毎日母親のいる病院に通った。一度、病院に戻ったがお母様が亡くなり、葬儀の日は高熱で参列できない状態だったが強い抗生物質を投与し、なんとかタクシーで東京で行われた葬儀に参列。病院に帰った日の翌朝、強いめまいに襲われたそうだ。
 友だちの63キログラムあった体重が43キロまで減っているのは、無理なダイエットを一年間続けたこともあるが、腰を痛めた状態で、長年住んでいた家を離れ、家族がばらばらになり、さらに母親の病気や母親との別れなど、心身に過重な負担がかかったことが大きな原因のようだ。
 もともと明るい性格で話し好きで自分のことより他の人のことをまっさきに考える友だちだったが、いまも全く変わっていない。友だちの笑顔には、友だちが体験した苦難の影がまったく見られないが、やせている姿が痛々しいとも感じた。
 この病院では3食の食事はもとより、掃除、洗濯、買いものまで代行してくれるそうで、とてもラクだと言っていた。長い間、一年に一回インドに仲間と訪れ、ヨガやアーユルヴェーダについての研鑽を重ねてきた友だちは、その研鑽の成果を資料を参考にしながらまとめる作業をしているとのことで、療養をしながら自分のしたいことを無理のない程度にしているようだ。
 夜はゆっくり睡眠時間をとったが、それ以外はほとんど友だちと話し続けた。もちろん、医師や看護師、鍼灸師など病室を訪れる人は多く、その都度、話しを中断したり、席をはずしたりはした。夕食はタクシーで居酒屋に行き、焼き鳥や川エビのから揚げ、コロッケ、タコとイカのガーリックサラダなどに舌鼓を打った。友だちはお酒は飲まないがわたしは日本酒を少し。
 病院に帰ってからも、友だちはベッドに横になり、話し続けた。生まれてから一人の人とこれだけ長い間話したのははじめてかもしれない。
 お互いが体験したことが重なる部分も多い。友だちもわたしも親の介護を経験しているし、友だちの家では前は猫を飼っていて、その後い、犬を飼っている。
その犬は現在は老人ホームに入っているお父様のもとにいるが、いちばんかわいがったのは亡くなったお母様で、そういう事情もどこかわかる気がした。年老いたご両親にとって、愛犬はきっと大きな心の支えなのだろうと。
 自分のこともたくさん話した。亡くなるまでの父の介護や母が亡くなったときのこと、柴犬レオが亡くなったときのこと。父とレオがいた2010年、わたしが強烈なめまいに襲われ、救急車を呼んだときのこと。立ち上がれないので玄関を空けられず、雨戸を開け入ってきた救急隊員に柴犬のレオがショックを受けたこと。タンカーに乗せられ(何に乗せられたのかよく覚えていないが)こんどは玄関から出るわたしをレオが追いかけてきたこと。2階の家族がそれをとめたこと。病院でいろいろな検査をしたがめまいの原因がわからず、どうにか立ち上がれるようになり、午後家にタクシーで帰ってきたとき、レオが悲しそうな声で泣き続けたこと。友だちに話しながら、心の中で「レオ、レオ、悲しい思いをさせごめんねー」と叫んでいた。レオのことを見たことのない友だちに、アルバムを持って行ってレオの写真をたくさん見せた。
 友だちもわたしも思いの丈を話せたのではないだろうか。
 もちろん、楽しい話しでも盛り上がった。千原せいじというお笑い芸人はいいとお互いの感じ方が同じだったのは意外でもあり、うれしかったし。
 友だちは輪廻転生の考えが根本にあるインドの哲学を学んでいて、わたしに死ぬ間際にレオのことを考えたり、これでレオに会えるなどと考えてはいけないと言われたのはおもしろかった。そう考えると次は犬になってしまうそうだ。今までの人生に感謝し、回りのすべての人、出会ったすべての人に感謝の気持ちを感じながら死んでいくのがいいとのこと。
 今死んだら、レオ、すぐそばに行くからね、なんて思いそうで、友だちのことばが妙にリアルに響いた。
 腰の痛みもなくなり、元気そうに見えた友だちだがしばらくは療養生活を送ったほうがいいなと思った。病院を出て、新しい生活をスタートさせるのはかなりの気力、体力が必要で、まだその段階ではないような気がしたから。
 わたし自身、いろいろ体験し、自分にも人にもがんばろうと言えなくなった。がんばることはいらない。ふつうにしているだけでいい。ふつうにしているだけでせいいっぱい。それさえもできないこともある。
 無理はせずに心のままに。海辺の23時間から得たことば。
 友だちとはまた会いたい。今回、10何年振りかで会ったがもうそんな時間のよゆうはないかもしれない。


朝6時過ぎ、バッグに柴犬レオの写真を入れて、散歩に出る
病院はこんな田園風景の中にある


すぐ近くに漁港がある
朝6時半ごろの漁港


漁網の手入れをしている




漁港から家並みが続く道を歩くと
落花生を収穫しているおばあさんに出会い、
浜辺に出る道を聞いた
雑木林につくられた細い道を抜けると
サーフィンや地引網ができる
海岸にたどりつく


押し寄せ砕ける波を飽かず眺めた