5年前を思い出して

 母が亡くなってから、この1月で5年。毎年、母が病院に救急車で入院した日に、その病院に足を運んでいる(一回だけ別の日があったが)。
 いつも9階の病棟に上がり、外の景色を眺める。冬木立ちと常緑樹が混じり合った、駒沢オリンピック公園や遠くの街並みが眺められるが、今日はいままででいちばん景色がきれいだった。遠くに山並みが連なり、その山並みから冠雪の真っ白な富士山が抜きんでた峰を聳えさせている。山並みは180度近く見渡せる。
 母の入院中にも一度くらいは遠くの山並みが見えたことがあったように憶えているが、記憶は確かでなない。母が亡くなる日の朝、小雨が降り、雲が重く垂れこめ、枯れ木立ちがぼーっと霞んでいる冬の陰鬱な景色がいちばん印象に残っている。
 今日はそんな寒々とした記憶を拭い去るような、ひろびろと心がほどけていくような、どこまでも見通せるすがすがしい眺めだった。
 ただ、わたしはやはり、5年前の今日(1月6日)に戻っていく。今年は2008年と曜日の並びが同じで、元旦にカレンダーを見て気づいた。松の内の日曜に入院し、土曜日に他界した。曜日が同じだと、リアルに昔に帰る感じがあり、お正月中、5年前の今日はこんなことがあったと折りに触れ、思い出していた。
 入院したばかりの母はまだ話せる状態にあり、夕方まだ明るい頃、「レオちゃんが待っているから、早く帰りなさい」と言ってくれた。わたしは「まだ大丈夫。レオの散歩は頼んだから」と言って、暗くなるまで病院にいて、家に帰った。
 だがその日、病院に泊りこめばよかったと今でも思っている。
 4日から体調を崩していたが、6日の早朝、呼吸困難になり、かかりつけの医師に救急車を呼んだ方がいいといわれたので、わたしは母にこのことを伝えると、母は「ほんとうは(病院に入院するのが)嫌だが、治るなら・・・・・・・」と言った。ではと119に電話した。わたしは口には出さなかったが、母に治ってこの家に帰ってきてもらうと心に決めていた。口に出せばよかった。
 そういう経緯があり、入院し、その日は母を病院に残して家に帰ったが、その夜、変な夢を見た。母の命を何者かが奪っていくという象徴劇のような短い夢だった。あからさまでないが、象徴しているところが目覚めた後も引っかかっていた。わたしは病院に泊り、母を守らなければいけなかったのではないか。
 何から母を守るのかはわからない。ただ、そばにいるだけでも安心感があったかもしれない。それが守るということかもしれない。
 母は治ることができなかった。でも母は家に帰れると最後の最後まで思っていたふしがある。そのことを考えると、わたしは責任を感じると言うほど重たくはないが、もっと何かできたのではないだろうかという思いが心の底に滓のようにいつまでも残る。
 このことが母が入院した日に病院に行ってしまう、行きたくなってしまう、いちばんの理由かもしれない。



病院からの帰り、自由ヶ丘に寄り、ちょこっと買いもの。日曜日なので、歩行者天国になっていて、おおにぎわいだ。
 家に帰ると、レオはカーペットを敷いた部屋のソファとアルミサッシの間に入り、伏せていた。帰ってきたよと背中をなでても動かない。少したって、立ち上がったので、隙間から出した。後で気づいたがカーペットの部屋の端に、レオのうんちが落ちていた。留守番中に、用を足したようだ。後始末する時、冷たかったのでたいぶ前にしたものだとわかった。