本末転倒

 福袋の中に文庫本サイズのブックカバーがあったので、文庫本を読もうと思った。
 このカバーをつけて、本を読みたくなった。
 どうせなら、前に読んだことのある本でなく、新しい本を買おうと思い、午後、駅前のスーパーマーケットに買い物にいくついでに、同じビル内の本屋さんに寄った。
 昨日もスーパーマーケットに行ったが、どれほど買えばいいのか誤算があり、また行くことになったのだ。
 本屋さんでは2冊の文庫本を買った。谷川俊太郎の『ひとり暮らし』と白洲正子の『私の百人一首』。ひとり暮らしは、すぐ読みはじめ、半分弱読んだ。
 詩人の家の飼い犬が死のうとするところを目撃した話しがあって、その視線の強さというか、ものごとを見る目の鋭さというか、冷徹さというか・・・・・に胸をつかれた。
 家族として犬に接しているわたしにはとうてい及びもつかない視線だ。犬は救いを求めようとしなかったとあるが、犬も救いを求められないと思ったのかもしれない。いや、死ぬときは、誰かにすがったり、頼ったりしようと思わなくなるのかもしれない。
 死に行く犬に対して、できることは何もないのかもしれない。見守ること、そばにいることくらいしか。
 詩人は「うちの中に入れて毛布でくるんでやって、獣医のところに連れていったりするのが冒涜のように思えて、私は何も手出しはしなかった」と書いている。
 わたしだったら、詩人が冒涜のように思えたことをするにちがいない。だが詩人の言わんとすることもわかるような気がする。犬の死は自然の成り行きで、生きている側の気持ちとはかけはなれた、動かせない現実。自然にまかすしかないということだろうか。
 

 文庫本カバーが思いがけなく読書の時間をもたらしてくれた。これがいつまで続くかわからないが、本読む習慣を身につけたいと思っている。