よみがえる紅梅の思い出

 老犬レオはてんかんの薬をやめたが、薬を飲んでいた時とそれほど体調は変わっていない。
 深夜過ぎ、レオが起きて部屋を歩き回った。部屋の隅で顔を下に向けて歯ぎしりを起こしたが、抱きよせて落ち着かせ、のどのあたりをなでているうちにおさまった。
 今日の日中も、短い時間でかけて帰ってきたとき、部屋の隅でレオが歯ぎしりしていた。ときおり悲しい声で泣いている。ドキッとした。また発作が起こったらどうしよう。レオのほうに行き、抱き寄せて、大丈夫よと声をかけ、のどをなでた。このくらいしかできることはない。しばらくして歯ぎしりはおさまった。
 抗てんかん剤を飲んでいるときも、歯ぎしりはよく起こしていたから、冷静に考えれば、飲んでも飲まなくてもほとんど変わっていないことになる。

 レオが起きたのは午後1時過ぎ。レオが寝ている間、午前の早い時間はいつも立ち寄っているブログにお邪魔していた。彼岸花をテーマにしたブログがふたつほどあった。そのひとつが四季折々の花鳥風月や行事などをテーマに、短歌や俳句を紹介している、ご自身も俳人であり、歌人である方のブログだ。彼岸花をテーマにした俳句や短歌に、母親のことを詠んだものが2つあり、心を揺り動かされた。
 これがきっかけとなって、わが母の命日にこのブログのテーマが何だったのかを知りたくなり、アクセスした。母が入院した日のテーマは、初富士だった。2008年のお正月も近くの河原からきれいな富士山が眺められた。
 命日となった日のテーマは探梅行。熱海の梅園を訪れたことが記されていた。これを見て、わが家の玄関横に植えた紅梅がお正月に咲いていたことを思いだした。咲いていたと思うがわたしを含め家族は誰も気づかなかった。わたしが気づいたのは母が入院して2〜3日目で、「あ。紅梅が咲いている」と驚いた。高枝鋏で紅梅の一枝を切り、母が横たわる病室に持っていたのである。
 枕元で「家の紅梅だよ」と花を手にして話しかけたのは覚えているが、母がわかっていたかどうかは憶えていない。病室の冷蔵庫の上に、花瓶に入れて飾っておいた。隣に、姪(母にとって孫)がお見舞いに持ってきた花のアレンジメントも置いてあった。
 その数日後、母は他界した。入院して7日目。紅梅を家に持ち帰ったのか、病室に置いてきたのか憶えていない。
 そして今日、(いままで忘れていたのに)紅梅を母に見せて元気づけようと持って行ったことを思い出した。あの一枝をどうしたのかは何の記憶もない。