二日遅れのお墓参り

 月命日や命日にお墓参りをしているが、誕生日にも行くことにしている。
 父の誕生日から遅れること2日、今日やっと行けた。               
 老犬レオが朝早く起きて、トイレをすませた。その後、お湯で薄めた牛乳を少し飲んでまた眠ってしまった。その寝ているとき、ホームセンターに花を買いに行き、レオのトイレシートなども買うことができた。
 行き帰りは車だ。この道路はよく生前の父母を車に乗せて行き来した。特に母が多かった。母の妹の老人ホームに行く時、病院に診察や検査を受けに行く時、この道を通った。5年前のことになるが、道沿いには新しい建物が建ったり、無くなった店舗があったり、あるていどの変化はある。大きなケヤキの木はずっとあったな。葡萄園もあった。気づいたら、ずっとあるものを探していた。変わったものも探していた。
 苗字が同じ医院の看板が出ていたが無くなったし、新聞の販売店があり、母に「うちの新聞はここから配達しているの?」と聞いた憶えがあった。その新聞販売所もなくなった。新聞販売所は数年前から数が少なくなっているようだ。インターネットでニュースを見る人が多くなったのだろうか。
 ここで父のことを考えた。父は朝日新聞の長年の読者で、無くなる1年前くらいまで、毎朝、新聞を読んで、日誌に気になったニュースや一面の大きなニュースを書き込んでいた。父の日誌を見ると、その日、父が何をしてどんなことを考えたかはわからないが、政治・経済・社会で何が起こったかはわかる。わたしにとって味気ない日誌ではある。
 だが今日、車に乗ってお寺に向かう途中、考えた。父にとって毎日はあまり変化がなく、書き留めるほどのことはなかったのではないか。趣味は野球観戦と、庭仕事で、野球の試合に関しては対戦相手、勝敗が日誌にきちんと記録してある。庭や植物についてはほとんど書いていない(ぜんぶ読んだわけではないので全く書いていないとは言えない)。草むしりをしたということは書いてあった記憶がある。あと、孫が家にやってきたとか、わたしが出かけた日も書いいある。
 書き留めるほどのことがない日々でも父にとっては母がいる間は、それなりに幸せだったと思う。母がそばにいるという安心感は父にとっては命と同じくらい大切なものだったのはないだろうか。変化のある毎日が幸せということもない。同じような日々が続く幸せもある。
 こう考えると、毎日、新聞を読み、一面のニュースを書き込んだ父の日々はいい余生だった。父が何をその日していたか、日誌を見てわからなくてもそんなことはどうでもよくなった。幸せな日々の記録があると思うことにした。
 父は母が救急車で入院した日から亡くなるまでの1週間も同じように新聞のニュースを書き込んでいた。もちろん、母の入院、父が2回見舞いに行ったこと、重篤な状態であること、母が亡くなったことも書いてある。わたしが病院に泊った夜も書いていある(5日間泊った)。
 どんな気持ちでいつもと同じようにニュースを日誌に書いていたのだろう。わたしは母のことだけを考え、病院にいるか、レオの散歩のために家に帰ってくるかの1週間だったので、父のことはあまり記憶に残っていない。母の見舞いには父と車で一緒に来たが。
 わたしが父のことをあれこれ書いているのをもし知ったら、「俺のことなど考えずに、自分のことだけを考えろ」と言うかもしれない。

 老犬レオとわたしの歯車がかみあわない一日というか。今日のレオは今のところ3回おしっこをしたが、ぜんぶ、玄関の土間(タイル敷き)でした。レオを土間に下ろして、ちょっと待ってて、と準備している間に、間に合わずおしっこをした。
 外に出して1時間もおしっこをしないこともあれば、数分でも待てないことがある。たぶん、今日は土間に下ろす前にずっと我慢していたのかもしれないが、それがわたしにはわからない。