年用意

 朝の冷え込みは今年いちばんではないだろうか。三つある、めだか鉢(ひとつはガラス瓶)がぜんぶ凍っていた。いつもは寒い駐車場よりのものだけに氷が張る。昨夜、軒下に置いたシンビジュームの鉢に、霜除けのシートをかけておいたのは正解だった。
 午後は電気屋さんが来て、部屋にあるブラウン管テレビを撤去し、別の部屋に置いてある液晶テレビを持ってくることになっている。そのための部屋の片づけの続きを午前中した。昨日は電気屋さんに持って行ってもらうことになっている古い冷蔵庫を、部屋から外に出し、置いてあった所を掃除した。10数年分のほこりがたまっていた。
 今日は和テーブルの上にごちゃごちゃ置いたものを整理した。いくら整理してもすっきりとはいかない。捨てるものが少ないからだ。資料や本などはあるべき別の場所に移動させても、居場所のないものがかなり残る。これがテーブルの上を占拠するわけだ。
 テーブルの上に置いたブックエンドに、故人となった叔母(母の妹)の遺品を入れた茶袋が立て懸けてあった。生前の趣味だった俳句を書いた用紙や、短冊に書いたもの、色鉛筆で描いた絵が入れてある。これを取り出して見たのは9月、重陽節供のころ。
 今ころの季節を詠んだものがあるだろうか。
 いくつか見つけて、そのひとつを書いた短冊を居間に飾った。
「年賀状書き終えてより懐手」
こんな句もある。「枯木立にも手を入れて年用意」こどもにもご主人にも先立たれて、ひとり暮らしていた叔母の師走が目に浮かんでくるようだ。

 わたしもこんな句を作ってみた。
「寒雀十三夜ほどに丸くなり」
「栗の木は厳寒のなか黄葉す」
「ポチ袋見つくろって年用意」
「忌明けてていねいに書く年賀状」
「名の知らぬ野鳥の姿や冬の庭」
ムクゲの剪定枝束ねる霜の庭」
「老犬はストーブの部屋で眠り続け」

 午後、電気屋さんが来たが、テレビの配線工事中に絵を描いた。冷蔵庫の搬出(玄関から車まで)を少しだけ手伝ったら、腰を軽く痛めたので部屋で絵を描くことにしたのだ。
 題は「思い出」。青葉薫る5月の夕暮れの河原の風景を写真を見て描いた。対岸のビルや人家に明りがともり始める頃。

 老犬レオが起きたのはお昼ごろ。家の前の道路で用を足してから、日差しがあったのでしばらく歩いた。といってもくるくる回るだけ。小一時間で家に入るが、最近では珍しく歯ぎしりの発作が起きた。これを見て、昨夜、レオに抗てんかん剤を飲ますのを忘れていたことに気づいた。40時間くらい薬を飲んでいない。あわてて飲ませた。歯ぎしりはすぐおさまった。薬が効いていたので歯ぎしりが起こらなかったのだ。