4月の雨の日に

 朝から雨が降り、老犬レオもわたしもひきこもりの一日。
庭には咲き終えた乙女椿の花や桜の花びらが散らばり、昨日のうちに掃除をしておけばよかったと思ったが後の祭り。
 レオは部屋の中で大小の用を足し、用を足した後は水やうすめた牛乳を飲んだ。朝ごはんは鶏肉をフライパンでじっくり焼いたものと、小松菜、もやしをいっしょに炒めたもの、ヨーグルトだが、出したものの6割くらいしか食べない。
 食後しばらくたって、本棚の下の段に顔をつっこみ、盛んに泣くので、試しにささみのおやつと、ドッグフードをあげたら、全部食べた。朝ごはんを半分くらいしか食べなかったのでお腹がすいたのかもしれない。
 レオはジョイントマットを敷いた廊下と続きの部屋にほとんどいる。わたしはレオの姿を見たり、レオがたてる音を聞きながら、パソコンに保存した画像を見てレオの絵を描いた。昨日撮った写真だ。
 いままでとは違う描き方をした。油性の色鉛筆を主に使い描いた。下描きもうすい色の油性色鉛筆だ。一色だけ水性色鉛筆を使った。テラコッタ色。
 レオの毛並みの感じを出すため、短い線をいくつも重ねる色のつけ方をした。昨日は晴れていたので、光があたるところは毛がきれいな色に輝いている。その輝きを表現するのはむずかしく、じゅうぶん出せなかったが、違った描き方をするとまた違ったレオが見えてくるような気がした。
 炬燵の上にノートパソコンを載せ、画像を見ながら絵を描いているとき、レオがわたしには見えない廊下で歯ぎしりをした。ぐわぐわとそんなテンポは早くないがとまらない。作業を中断して、レオのところに行った。障子にもたれかかるようにして顔を下に向けているレオを抱き起こし、腕で支えて顎を上に向けるようにしたら、少したっておさまった。
 レオを抱きかかえながらふと思った。もしレオがいなくなったら・・・・どの部屋に行ってもレオがいなかったら・・・・・どんな気持ちになるだろう。寂しいだろうなあ。今は姿が見えなくても、どこかにいる。眠っていても時折、様子を見に行くとそこにはレオがいる。レオがいることが当たり前で、いることはわたしにとって空気みたいなものだ。その前提の上に日々の生活がある。
 かっては父母もいて当たり前の人だったが亡くなる前に、もしいなくなったらどうだろうと考えたことはなかった。
 今日はじめて、いないということを一瞬だがぞっとするほどのリアリティで感じた。

 今日のレオは、昼間あまり眠らず、動き回っていることが多い。いま、また起きて本棚に顔を突っ込んで立っているので、抱き上げて古いソファの上に寝かせたら、気持ちよさそうに眠った。その前は廊下で眠っていたので寒かったのだろうか。朝からエアコンをつけて暖房しているが、廊下まではあたたかくならないから。

昨日撮った写真を見て、駐車場で休んでいるレオを描いた
16歳の誕生祝いのネクタイネックレスをつけている
腰のところの毛が白っぽい部分は水がたまって、ぶよぶよの固まりができている