69年前の今日

 陽射しは春だが、風が冷たい一日だった。ただ、庭の梅の花は咲き進み、椿のつぼみはふくらんで、あと一押しでは咲き競うほどになりそう。
 少し前から新聞で特集記事が組まれていたが、今日3月10日は69年前東京大空襲があった日だ。わたしは戦後生まれで、実際の空襲を知らないし、父母も東京にいたが下町ではなかったので大空襲は免れた。
 ただ、わたしの母の姉〈父親違い)の実家が深川にあり、空襲で消滅した。空襲の前日、学童疎開の準備のために、叔母は実の母親の家に預けておいた荷物をこどもたち(兄と妹のふたり)とともに取りに来た。実の母親はわたしにとって祖母で、わたしの母と叔母にとっての母親だ。夜遅くなったので今夜はこちらに泊った方がいいと祖母に言われ、叔母はこどもたちとともに泊まった。その夜、大空襲が東京の下町を襲った。
 わたしの母は叔母と共に焼け跡を訪れ。叔母の実家がどうなったのか、家にいたはずの父親と夫の行方を捜した。ころがる遺体を最初は避けて歩いていたが、あまりの数の多さによけることもできなくなったと母はわたしに話してくれた。ひどかったねえ。
 この母の話と、家と夫と父親を一夜で亡くした叔母のその後の生き方を見て、わたしが生まれる前に起こったことではあるが東京大空襲が忘れがたい惨事として刻まれた。
 隅田川沿いにある、すみだ郷土文化資料館で何年か前に、東京空襲の体験者が自らの体験を描いた絵の展示会を見たことがある。悲惨な光景を絵で見るのは辛いことだったが目が離せなかった。想像を絶することが起こった夜だった。10万人が死んだといわれている。人の手で人に対して、こんな残酷なことを行っていいのだろうか。
 今年も4月6日〈日曜)まで展示している。


 午後は、庭の桃の木の下で咲く青紫色のクロッカスを描いた。クロッカスの花は太陽の光に敏感で、お昼頃がいちばん花が開き、2時過ぎると閉じ始める。絵を描きながら、花が刻一刻と変化するのがわかるほど、太陽の動きとシンクロしている。
 鉛筆でスケッチした時がいちばん花が開いていて、色を付ける段階になって花を閉じはじめ、描き終えた頃はつぼみに近い形になっていた。
 花をスケッチできるのは平和な時代だから、だろう。花をめでるよゆうも平和な時代だから、かもしれない。花を見る人の側の平和も必要かもしれない。あまりに悲しい時、あまりに怒っているとき、あまりに忙しい時、あまりに深刻な問題に直面しているときは、花を見るよゆうもないのではないだろうか。
 心の内と外の平和が続きますように。


柴犬レオがいた昨年の今頃もこのクロッカスの絵を描いたが、
同じ花でも全然違う風に描かれている
昨年はズームで撮影した写真を見て描いたが
今年は実際の花を見て描いた
クロッカスの絵を描きながら、
レオのことを思い出した
やはり、レオがいたほうがいいな
絵を描いて家に戻ったら・・・・・・・