母の誕生日に

 日本海側は雪で荒れ模様、こちらは晴れているが風が冷たい日曜日だ。
 今日は母の誕生日なので、午後、老犬レオが食事をした後、眠った時にお墓参りに行った。
 車でホームセンターに行き、花を買い求め、その足でお寺へ。
 父の二日遅れの誕生日にお参りに行った時の花がまだ枯れずに残っていた。
 97年前の今日、母は生まれた。東京の今の葛飾区あたりで。寒い時期、薪と炭で暖めるしかない時代。母は祖父母たちの最初のこどもとして生まれた。祖父母は、どちらも違う相手との間にこどもがいて、祖父は離婚し愛知県の郷里より上京して、祖母と再婚したのだ。祖母の前のこどもは正式な結婚で産んだ子ではなかった。
 そんな事情だったので、母は祖父母にとって希望の星みたいな子供だったのではないか。特に祖父にとっては思いを遂げた結婚でもうけたこどもだから。
 その後、4人の兄弟が生まれたが母は長女ということで、唯一、女学校に入学させてもらった。他の兄弟たちは中学校までだ。母は兄弟の中でいちばん勉強に向いていない性格で、その母が女学校に行ったということで、下の妹達はすくなからず妬ましさを感じたようだ。
 墓地の入り口近くにそそり立つ大銀杏は、裸樹となり、無数の枝から冬の空がのぞき見える。まるで空の向こうに97年前の母が生まれた日の光景が見えるかのように、わたしは仰ぎ見た。
 母が中学生の頃、祖母の最初のこども(母にとっては姉)が家にとつぜん訪れた。母はわたしにそのことを話し、「驚いたねぇ」と言った。
 母の20代前半の日本は戦争へと傾斜していき、太平洋戦争が敗戦を迎えたのは母が30歳になったときだ。
 なにはともあれ、母は92歳まで生きた。


 
 昨夜の老犬レオは深夜前に寝てから朝5時半まで眠っていた。起きたのも寝がえりを打ちたいくらい気持ちだったかもしれない。わたしが抱いて玄関の土間に下ろしたら、ドアに顔を下向きにしてもたれかかり、前足でタイルをひっかいている。レオの後頭部をなでると、わたしのほうに寄ってきて甘えるので、身体を包むようにしてあげた。まだ眠たいのだと思い、抱いて布団に寝かせ、わたしも二度寝した。
 午前中遅くまで眠り、起きてから道路に面した駐車場に出て、ブラッシング。わたしの脚の回りをくるくる回っていたが、脚から離れたなと思ったら少したっておしっこをした。
 最近のレオは抗てんかん剤を夜一回(8時〜9時)、六分の一錠飲んでいる。フェノバールという薬。前のような歯ぎしりをすることがなくなったが、その代わりというか、部屋の隅に顔をつっこみ、前足でひっかくような動作をするようになった。後ろ足で立ち上がることもある。立ち上がり、そのまま後ろに引っくり返ることもある。前は歯ぎしりをしながら、顔を床につけるようにして、前足で顔を洗うような動作をし、そのまま前方向にでんぐり返しみたいに倒れることがよくあったが、発作の出方が変わってきた。


 お墓参りに行く前、ちょうどNHK中村勘三郎さんの追悼番組がはじまるところだった。観たかったがお墓参りにでかけ、帰ってくるとまだ放映中だった。中村勘三郎さんが大石内蔵助を演じた『元禄繚乱』の討ち入りの場面を30分放映。討ち入りを果たした後の、中村勘三郎大石内蔵助)の凛と張り、澄んだ目がすばらしい。観ていて、泣いてしまった。困難の中、高い志を持ち続ける男をここまで演じきれる俳優は中村勘三郎さんしかいないかもしれない。