お正月の老犬レオ

 今日は昨日より日中は日差しがあたたかだったが、風が強かった。
 老犬レオは昨日に続き、朝早めに起きた(といっても9時少し前)。居間のテレビは、恒例の箱根駅伝を報じているがわたしはテレビをつけっぱなしにして、レオを庭に連れ出した。家の前の道路は日が当らないので、庭の中でも日の当る所にレオを抱いておろした。
 しばらくして、家の壁に身体を預けた状態で、用を足した。その間、わたしは枯れ葉の掃除。少しレオを歩かせようと裏庭に抱いて連れて行くと、ここで大のほうの用を足した。小一時間くらいで家の中に入る。
 家の中にいても、テレビの前にほとんど座ることなく、レオの食事を作るなどした。なんのために、箱根駅伝をつけているのか。多分、父母がいた頃、いつも炬燵に入って見ていたので、その記憶からかもしれない。父母がそっとこちらに来て、見ていると思ったのかもしれない。
 シクラメンカニサボテンの鉢を並べた廊下は午前中からお昼にかけて日差しがあたり、ここだけ春のような陽気。いつもはレオが入れないようにしているが、いちばんあたたかい所から締め出すのはかわいそうな気がして、障子を開け放ち、レオを自由に出入りさせた。ただ、わたしはほとんど見守っている状態で。
 よく観ていると、レオが鉢を倒すのはしかたないとわかる。フローリングだから、足はすべる。足腰が弱いから、立ち上がるとき、よろめき、鉢に覆いかぶさることもあるだろう。身体が不安定だから、鉢を支えにしようとしても、支えにはならないし。
 レオといっしょに廊下の陽だまりにいた。ときどき、台所に行き、お雑煮のだしをとったり、大根、ニンジン、かまぼこ、なるとを切ったり。台所と廊下を行ったり来たり。
 そんなわけで、駅伝を座って見たのはお昼ご飯を食べたときだけ。ときおり見たり聞いたりしているので、どの大学が往路優勝したとかはわかっている。だが本当はゆっくり座って見たかった。明日の復路は観れるだろうか。

 二世代住宅の2階に甥一家が来るので、田作りとアップルパイを作って持って行った。変な組み合わせだが、家にあるもので作れるものは限られているからしかたない。5人の(父母にとってのひ孫たち)にもお年玉をあげた。2階にこどもたちの足音が響くのを聞きながら、生前の父母も、はいはいを卒業し、歩くようになったひ孫たちの成長ぶりを1階で聞きながら、心をなごませたのだろうと思った。父は「だんだん足取りがしっかりしてきたね」と言ったことがある。
 今日は父の月命日だが、甥(父母にとって孫)たちがお墓参りに行ってくれた。
 父母もお正月に孫に会えて、頬をゆるませているかもしれない。

日当たりのいい廊下で足をふんばっている、レオ

手足が開いて、床にぺたっと伏せたレオ
レオから少しでも守ろうと、鉢を廊下の隅に寄せた

夜は、レオを抱いて2階に行った。
こどもたちは最初、レオをこわがってさわろうとしなかったが、
慣れてくるとなでなでした。
レオは眠ったふりをしていた。