落ち葉の絵を描く

 昨夜のことから話したい。
 寝る前の夜の散歩で、家の前の道路(一通の道)にレオと一緒にいたら、車が止まった。レオが車の前に行きそうになったので抱き上げると、ウィンドウが開き、一昨日の夕方もお会いした女性が泣きながら、話し始めた。
 一昨日は愛犬を動物病院に連れて行った帰りだった。発作を起こしていつも通っている病院に行き、症状が落ち着き、家路の途中だった。
 昨夜は病院の帰りだったが、愛犬の亡きがらを後ろの座席に乗せていた。深夜近くなので車の通りも少なく、エンジンを切って話した。いつもの病院は夜間対応をしていないので、夜間の救急病院に連れて行ったが、肺に水がたまり、呼吸困難に陥ったようだ。息ができなく苦しむ愛犬に対して、安らかに逝けるように処置をしてもらったそうだ。飼い主さんは涙をとめることができない。嗚咽で話しが聞きとれないところもあったが、その悲しみように何もできない自分が辛かった。
 一昨日は同じ後部座席に、発作がおさまり、ぐったりはしていたが落ち着いた様子のわんこがいて、わたしも見ることができた。その子が次の日には遺体となって、同じ座席に乗せられている。
 なんということか!苦しんでいる愛犬に対して飼い主さんの決断は想像を絶する辛さだろう。
 昨日の昼間は、いつも散歩に行っていた河原に愛犬を抱いて散歩に行ったと言っていた。腫瘍ができているとはいえ、愛犬の容態の急変に心の準備もできていなかったろう。いや、覚悟をしていても悲しさや辛さが軽減されるわけではない。
 同じ日に、2匹の犬の死を知ることになり、わたしはなんか運命みたいなものを感じた。知らなければ知らないですませることができたことかもしれないが、向こうからやってきて、それを受け止めたという感触がある。

 わが老犬レオは昨夜は深夜12時過ぎに眠り、4時半ごろ起きた。外に行き、トイレをすまし、朝ごはんを食べ、水を飲み、また7時半ごろ寝てしまった。
 次に起きたのは午後2時ころ。
 わたしはレオといっしょに少し眠ろうとしたが、目覚めてしまい眠れず、レオが寝ている間、落ち葉の絵を描いた。
 昨日、いつもの散歩コース(調子がいいときの)の桜並木の紅葉を見に行き、あまり葉が紅くなっていなかったが、近所の方が掃き寄せた桜の落ち葉がきれいで、何枚かを拾って持ち帰った。昨日は絵を描く時間がとれず、今日描いたのだった。
 葉っぱの一枚一枚、どれをとっても同じものがなく、形も色合いのグラデーションも虫食いの跡もすべて違い、でもどの葉もそれぞれにきれいだ。傷んだところが葉っぱに個性を添えていて、つるんときれいな葉っぱもそれはそれで魅力だが、一部裂けていたり、シミみたいな斑点があるほうが描いていておもしろい。

同じ絵を木漏れ日の中で撮影した
落ち葉にスポットライトがあたっているみたい







掃き寄せられたソメイヨシノの落ち葉
ここから葉っぱを選んで持ってきた
わたしが拾い終わったころ、
白髪の上品な老婦人がやってきて、
落ち葉を選んでひろい始めた
同じようなことを考える人がいるんだなと声をかけると、
パステルで絵を描いているとのこと。
お孫さんが喜ぶので・・・・とも。