茗荷の絵を描いてみた

毎年恒例のように茗荷の絵を描いている。今年も描きたいなと思い、庭の茗荷を絵を描くために採ってきた。なかなか描く時間が取れず、昨夜眠る前に色鉛筆で一枚やっと描いた。
 今日はお昼前に水彩色絵具を使って一枚描いた。いずれも葉書サイズの紙を用いた。毎年決まって描く絵の題材があって茗荷はその一つ。紫陽花もそうなのだが今年は描いていない。庭に遅れて咲いている紫陽花があるようなので、もしかしたらこれから描くかもしれない。毎年同じ題材を描き続けると、あの年はこんな絵を描いたのかと絵の巧拙とは関係ないある種の感慨がわいてくる。時間がたってから見るとずいぶん下手な絵を描いたのだなという目つきにもなれる。だが絵をかいたときはこれで良しと思ったのだからそんなに下手とは思っていなかったはずで、時間が過ぎると人はものを見る目が変わってくるのである。
 朝ごはんをあまり食べなかったも老犬ももこ。皮下点滴を終えてから少したっておしっこをさせるために駐車場に抱いて行った。おしっこが終わった頃、柴犬レオの散歩がきっかけで知り合った友だちが愛犬を連れて通りかかり、ももこの腰を支えたまま、少し話した。共通の友だちがいてその人のことや、友だちの親御さんのことなど。わたしの周りの知り合い、友だちのほとんどが親の介護をしている状態で、友だちもこれから母親を病院に連れていくと言った。
 連れている愛犬は黒いラブラドールレトレバーで、ももこを見てどすのきいた声で吠えていたが「女の子だよ」と抱いたままそばに差し出すと、途端に態度を変え盛んに尻尾を振った。ももこは顔をしわを寄せて「あなたなんか嫌い」という表情を見せた。
 わたしだってこんな押しの強そうな犬は好かない、人さまの愛犬をけなして悪いと思うが。
 ももこは明日、いままで通っている病院とは別の病院に行くことになっている。今日の午後、ももこの現在の状態や、19日に送った病気の経過に補足する内容を描いて再度FAXを送った。これを受け取った病院側から、「発作のようなものをおこすと書いていますが、明日までにこのような状態になったら動画を撮っておいて下さい」と電話がかかってきた。もうすでに動画を撮ってあると伝えた。
 18,19日と発作のようなものを数回起こしたももこだが、昨日は少し落ち着き、今日の今のところは落ち着いている。柴犬レオの時もそうだがすごく調子が悪くなったり、小康状態を保ったりしながらだんだん症状が進んできたような気がする。

上が昨夜描いた絵で、油性の色鉛筆だけで描いた
下はサインペンで下描きをして、水彩色鉛筆で彩色した

これは昨日のももこ