あやちゃん、さよなら

 3時ころ、老犬レオがトイレに行きたいらしく、玄関の外に出すと、自分で道路の方に歩いたので、いっしょに行き家の前でしばらく歩かせていた。
 わたしはベニカナメの芽生えたばかりの小さい芽に、アブラムシがついて、葉っぱが縮れてしまうので、さがしては指でつぶしていた。小指の先ほどの芽にも緑色のアブラムシがびっしりついていることがある。
 レオが駐車場から道路に出たので、あわてて駆け寄ると、高齢犬のあやちゃんの飼い主さんがもう一匹の犬を連れて駆け寄ってきた。「(レオが)ひとりで歩いているかと思って・・・」と言った。
 「今年の夏は猛暑で暑さが堪えたみたいで、レオもガクっと衰えてしまった」と言い、「あやちゃんは食欲はあるの?」と聞くと、「死んだの」と返ってきた。
 今週の日曜日の夜に急変したようだ。その日も食事はちゃんとして、外でおしっこもしたのだけど・・・・と飼い主さん。
  とりあえず食べてくれると、まだ大丈夫と思うのが、高齢犬や高齢の方を介護している人の気持ちだと思う。
 10月20日が誕生日で、その翌日、17歳と1日で死んだ。
 飼い主さんにとっては不意を突かれた最後ではないだろうか。
「レオちゃん、がんばってね」と言って、散歩の続きをするために用水路の方に行ったがわたしはとつぜんのことに、何も言えなかった。
 あやちゃんは5匹の子犬をもうけ、そのうち2匹(両方とも娘)と同じ家で暮らしていたが、一匹は母犬より先に死んだ。こども犬でまだ生きているのは、いっしょに暮らしている子だけかもしれない。
 こども犬よりがんばって長生きした母犬のあやちゃん。天国で先に行ったこどもたちと会っているだろうか。

 しばらくたってから、悲しさがこみあげてきた。レオが衰えてから、いっしょに同じ高齢犬としてがんばってきた。あやちゃんの姿を見ると、まだがんばっている。レオも、と思ってきた。命の灯はいつか消える。そのことを思い知らされた。
 夕方、車で駅前のスーパーマーケットに行った。車の中で涙があふれた。買い物をして店を出ると、赤い実がいっぱいついたハナミズキの木の向こうに月が出ていた。家の前の道路で見る月とは違って見えた。月は日本中どこでも晴れていれば見えるが、見る場所によって見る人によって、同じ月ではないのかもしれない。