彼岸花の摩天楼

 近くの河原の彼岸花は咲いているかな、もう満開かなと思い、でかけてみた。
 なんと!土手には彼岸花がいたるところに芽を出していた。前に行った時は、数か所にちょこちょこ出ていたが、今日はあまりの多さに感動した。
 花はまだほとんど咲いていない(一部だけ咲いている)。だが伸ばした芽の先につぼみが開きかけている。いままで見たことがないくらいの群生ぶりだ。
 まっすぐな茎、空をめざす芽。まるで彼岸花の摩天楼。

 短歌と俳句をひねってみた。
 「彼岸花アリの眼になれば摩天楼のごとく河原の土手に林立す」
 「彼岸花アリの眼からは摩天楼」
 「無数のフデ土手に伸ばす彼岸花

一部だが開花している花もある

別名がフデバナということを教わったが、
この写真はその名にぴったり

 猛暑、少雨が災いして、今年の彼岸花は不作と思っていた。だが彼岸花は強いのだ。厳しい夏を乗り越えた。花が咲くのは遅くなったが。この強い植物さえ、人の手が入り、ブルドーザーが土をひっくり返してしまえばひとたまりもない。人も植物も動物も鳥も虫もあらゆる生き物が持続して命を伝え、受け継ぎ、繁栄することを望む。
 昔、ある女性カメラマンと海外に行った。すごく親しいというほどの関係ではないが、なぜか宗教に関する話題となり、方向性が一致していることに気づいた。ただ、わたしがゴキブリやヘビが嫌いだからあまりいてほしくない、というようなことを言ったのだろうか(記憶がはっきりしない)。彼女は好悪の感情で生き物を見てはいけないとわたしに言った。命とは、人の都合、好悪の感情を超えたもの。嫌いだからいなくなれというものではない。
 彼女は好悪の感情で生き物を見ていない人だとわたしには思えた。
 あれから15年くらいたっているが、わたしはまだあそこから進んでいない。木を食うアリ、椿の葉を食い荒らすチャドクガの毛虫を退治し、ゴキブリが出れば殺虫剤をかけ、アブラムシも同様。ただ、ヘビだけは同じ庭に生きているものとして、前ほど毛嫌いしなくなった。共存しようね、くらいの気持ちになった。彼女はウィルスでさえ、その存在を認めているといっていた。どういう意味かわからないが。
 
 昨夜の老犬レオは、なかなか眠らず、部屋の中を歩き回っていた。わたしは入浴後、すぐレオと外に行き、冷たい風にあたったせいか、体が冷えて体調を崩してしまった。眠たくてしかたないが眠らせてくれない。がいつのまにか眠ったようだ。次は4時ごろ起こされた。腕枕をして寝かせようとしても、鼻をならすような不満を訴える声を出して眠らず、とうとうガバッと起きた。これはトイレだなと思い、道路に出したら、すぐおしっこ。半分眠っていたわたしはレオを抱いて家の中へ。わたしは朝8時に起きたがレオは午後1時半に起床。昨夜はいつもの3倍くらい散歩したのに、今日はほとんど歩かない。食事だけはふつうに食べた。
 夕方、どうも調子が悪く、横になっていたら、レオがわたしの側に来て、鼻で身体をつっついた。どうしたの?みたいな感じ。レオをなでたら、わたしの身体を枕にして横になった。甘えているのだろうか。わたしがいつもと違うことをすると気になるようだ。