彼岸花が咲いた

 秋晴れの日が続く。今日は柴犬レオがきっかけで知り合った人に縁がある日だった。午前中の2時間くらいの間に、電話がかかってきたり、買いものに行ったお店でレオのことを聞かれたり、偶然会ったりした。
 朝早くの犬友だちからの電話は、彼女が親しくしている人が小型犬を飼っていて、血液検査をしたら腎臓の数値が悪く、余命数週間といわれたという内容だった。その方は動揺して愛犬のそばにつきっきりで、何も手に付かない状態のようだ。いくら腎臓の数値が悪いといっても、そんなにすぐ命を絶たれることはないよね、何かの治療があるはずだよねというのが友だちの考えで、わたしも腎臓病に患っている知り合いの愛犬のことを話して、治療をするなど正しい対処をすれば腎臓の悪化を抑えつつ生きられるはずだと答えた。愛犬の飼い主同士のトラブルの話しも出てきて、レオが元気だった昔のことを思い出した。電話を切った後、泣いてしまったのは、愛犬の病気を心配したり、飼い主同士のトラブルがあったり、レオがいない今となっては無縁のことで、強烈に寂しく思えた。柴犬レオのことで一喜一憂した日々。あれこれ心を砕き、世話をして夜も眠れないことがあり、大変だったがあれは充実して幸せな時だった。
 古くなった蛍光灯を替えるため買いに行った電気屋さんで、応対に出てきた方にレオのことを聞かれ、話しているうちに、その家の愛犬の話しになり、亡くなった時息子さんがとても落ち込んでいたことを話したら、その方の目に涙が浮かんだ。悪いことを言ったと思った。3〜4年前のことだが、いつもは忘れていても何かのきっかけで思い出すと悲しくなることがある。きっと辛い思い出があるのだろう。わたしも何年もたっても、レオを思い出し涙を流すだろう。
 蛍光灯を持ったまま、元気な頃のレオと毎日のように散歩に行った、多摩川の土手まで歩き、河原に降りた。彼岸花が咲いているかどうか観たかった。昨年はレオを家に置いて、ひとりで河原に彼岸花を見に来たことをおぼえている。昨年は残暑が長かったせいかお彼岸が過ぎてからいっせいに咲き始めた。
 今年はどうだろう。昨年より土手は雑草に覆われ、背の高い草の陰にかろうじて咲いているのが見えた。歩き進むと群生している彼岸花が目に飛び込んできた。草ぼうぼうの土手だが、彼岸花が咲いている一角だけは草が刈り取られ、すくっと伸びた茎が林立しているのがよく見える。彼岸花は花も独特の形だが、茎の伸び方に特徴がある。葉っぱのないまっすぐな茎がこの花らしい。
 昨年と同じくらいの彼岸花の群生を見ることができたが、保存した写真を見たら、今年より1週間くらい遅れて開花したようだ。
 多摩川の河原を歩きながら、思い出すのはレオのことばかり。ここで過ごしたたくさんの時間を反芻しながら歩いた。あのときと変わっているもの、同じもの、すべてが時間の流れを物語っている。レオとの散歩のついでに河原の一角の草をむしり、花壇を作り、四季の花を植えていた。球根花や、紫陽花、ムラサキツユクサ、紅花、ヒマワリ、白鳥草(ガウラ)、カンナ、オシロイバナなどの花だが、レオが河原へ散歩に行かなくなり、放置された花壇は元の自然の状態に戻っていた。4年前はわたしの背くらいの高さだった月桂樹の木が、一階の屋根の高さくらいまで伸びているのを見て、自然の力を見せつけられた気がした。
 昨年は、彼岸花を見て、元気な頃のレオを思い出して追憶にふけり、家に帰ればレオがいたが、今年はもうレオはいない。いちばんレオの不在を感じるのは家に帰った時だ。どこにもいないレオの姿がずっしりと胸にくる。

彼岸花が群生している場所は草が刈られている


明るい黄緑色の茎もきれい

赤いリボンのような花びら
回りに放射状にひろがるのは雄蕊か