散歩道思い出語る秋の風

 昨夜は老犬レオを3回、外に出したが、回を重ねるごとに涼しくなっていった。3回目は10時ごろだったが、寒くなり、家にはおりものを取りにいったほど。昨夜のうちに夏と秋がバトンタッチしたようだ。
 明けて、目を覚ますと老犬レオの姿なく、玄関のタイルの上で寝ていた。身体が冷えるよと声をかけ、抱いてレオのベッドに横たわらせた。
 眠っている間、元気っだった頃のレオといつも散歩に行っていた近くの河原に行った。
 今日は秋分の日、お彼岸の中日だ。土手に彼岸花が咲いているかどうか見たくなった。例年だとお彼岸に合わせるように桜を植えた土手に赤い彩りを見せてくれる。
 レオとは今年の春以来行っていない。ひとりでも行っていなかった。
 わたしの脚だと気軽に行ける距離(7分くらい)で河原に着く。
 土手は草を刈った後で、ほとんど地面が見えていたがこれは例年のことだ。赤い彩りはない。寂しさが押し寄せてきたが歩き進むと、ある一角に芽のようなものが見えた。土手に上がると、彼岸花の芽がいくつも出ていた。よかった。開花が遅れているだけなのだ。
 さらに下流方向に歩くと、ひとつだけ赤い花が咲いていた。ここは日当たりがいいので桜の木の下のより開花が早いようだ。
 燃えるような赤、やはり、この河原の秋は彼岸花がないと始まらない気がした。ひとつだけでも見ることができてよかった。来週、また来よう。
 よくレオと行った川沿いの花壇にも寄った。ここは区からの助成を受けて(今はどうだかわからいないが)、河川敷の一角を、散歩に訪れた人たちが楽しめる花壇にしている。
 この時期だと、コスモスがきれいなはず。
 以前よりコスモスの数は少ないがちらほら咲き始め、風に大きく揺れていた。白花の萩も揺れていた。花壇の外には、野生のキクイモ(球根は食べられる)が
群生し、黄色い花が花盛りだった。
 この花壇の回りの草むらで、レオはよく伏せをして休んでいた。目頭が熱くなった。足元の草には無数の朝露が結ばれていて、涙みたいに見えた。
 家にはレオが寝てわたしを待っている。泣くことはないよ。
 足早に家に帰った。








キクイモの花

まだ芽が出たばかりの彼岸花