押し合う秋と夏

 夏は舞台の主役の座をおろされ、秋が主役になろうとする。だが夏はなかなか舞台を降りようとしない。秋に押されながらも、まだ夏だと主張している。
 そんな一日だった。風は涼しく、太陽が雲に隠れ日差しがないと、めいっぱい秋になるが、太陽が照りつけると夏が戻ってくる。これだけ夏ががんばると、暑さはもうたいくさんだと思いつつも、名残惜しいという気持ちがわいていた。
 3日前から老犬レオとわたしは、いつもの部屋で眠るようになった。その前は10日くらい、6畳間と続きになっている8畳間で眠っていた。レオが夜中から朝にかけて、寝たり起きたりして、部屋を歩き回るので、広い部屋の方がいいだろうと思って、したことだ。いつもの部屋だと手狭なので、レオがわたしを乗り越えて歩くのが気になったこともあった。8畳間で眠るときは廊下に通じる襖も開けて、自由に歩きまわるようにしたが、歩きながら泣くので、こちらもおちおち寝ていられなかった。
 いま思うと、あのときレオは、ノミが猛烈に増えてかゆくて、不愉快で眠れなかったのだ。眠る部屋を変えるより、もっとレオがなぜ歩き回るのか、なぜ泣くのかを考えてあげればよかった。
 落ち着いてきたレオと、以前の部屋に戻ってきたが、不思議なことに、旅から帰ってきたような感覚にとらわれた。同じ家の中で眠る部屋を変えただけなのに。自分の部屋がいちばん落ち着く。やはり、レオとわたしはここにいたほうがいい、と思った。
 さらに不思議なことに、8畳間を寝室にして、続きの6畳間でほとんど一日を過ごしていたとき、自分の部屋に置いてあるものを取りに行き、誰もいない部屋を見ると、わたしがどこかに行って不在のような感覚を持った。
 部屋はその部屋の主がいるのといないのでは、空気感が違う。その部屋を使っていないと、空気が停滞しているように思える。
 旅から帰ってきたような感覚はとても新鮮で、使い慣れた自分の部屋から距離をおくことで再発見ができた。この部屋でレオといっしょに過ごしてきた時間を大切なものとして思い返し、ここがレオとわたしの部屋だと思った。
 でも時には旅に出るように、違う部屋で眠ることもあるだろう。


 昨日までノミとりコ―ムでレオを梳くと、生きているノミがとれたが、今日は一匹もとれなかった。ノミ取りの薬の効果だろう。
 夕方遅く、家の前の駐車場でレオとくつろいでいたら、散歩で通りかかった友だち犬がいて、やはり、ノミが発生したと言っていた。メールでやりとりした他の友だち犬の飼い主さんも、ノミがついたと言っていた。今年は猛暑に加え、雨が少なく、ノミが発生しやすかったのだろうか。


秋の雲と夏の雲が混在している



グラジオラスの球根を掘り下げ、すっきりした花壇
宿根草バーベナ(手前の赤紫色の花)が夏の終わりになって元気になった