いわし雲を見て

 

昨日の夕暮れの空にきれいないわし雲が出ていた。
その雲を見て、夏目漱石の『三四郎』を思い出した。三四郎が恋慕する美禰子という謎めいた女性は、いわし雲が好きだったように記憶していたからだ。三四郎といわし雲を見る場面もあったような気がする。
 それを確かめるために文庫本を本棚から取り出してみたが、字が小さくて眼鏡をかけてもよく見えない。古い本で変色していることも読みにくくしている。
 三四郎と美禰子は、何人かで連れ立って、団子坂の菊祭りを訪れる。数年前、この団子坂を訪れたことがある。東京メトロ千代田線の千駄木駅からすぐのところの坂である。不忍通りを入ったところにある。坂そのものは明治時代と変わらない位置にあり、勾配も同じだろうが、アスファルトで舗装され、左右にビルやマンション、商店が立ち並ぶ坂に、三四郎の世界を偲ぼうとするのが無理というものだ。
 ただ、小説中に「坂の上から見ると、坂は曲がっている。刃の切先の様である」という文面は、坂のかたちをあらわしていて、今も変わらない。道路幅は変わっているように思える。
 明治時代の団子坂の菊人形は、もともと染井(現在の巣鴨近辺)で行われていたが、谷中には寺院が多いため、花屋がこちらに移転したことで、団子坂で開かれるようになったようだ。年に一度の菊人形は、花屋が栽培する菊と、菊をきれいに見せるための菊人形の趣向を競い合う、展示会的な要素もあったようだ。
 現代でも、バラやランなどの花をテーマにした展示会が開かれるが、規模は違っても中身は同じようなものだろう。
 明治時代の面影をさがして団子坂を登り、左方向に横道を入ると、ここにも明治時代の残映があった。訪れた日は改装中で閉まっていたが、森鴎外の住まいだった建物で、記念館として利用されている。
 建物が建っているのは高台で、ここからは明治時代には海が見え、観潮楼と呼ばれていた。海が見えたと思われる方向に目をやると、住宅やビルが密集していて、海が見えた昔を想像するしかなかった。
 ネットで調べていたら、改装中だったここが今年の11月1日に森鴎外記念館として開館することがわかった。今年は森鴎外の生誕150年にあたるそうだ。平成20年4月から改装していたというからかなり長い期間、閉館していたのだ。
 わたしがここを訪れたのは平成20年夏。あれから4年間たち、いろいろなことがあったな。変わったな。
 夏目漱石からはじまり、森鴎外で終わる、とりとめない話でした。 


平成20年9月初旬のレオ


 平成24年9月15日の老犬レオは、朝一度起きて外に行ったがトイレをしただけで、朝ごはんも食べずにまた寝てしまい、夕方6時過ぎに起きた。外に出すと家の前の道路をくるくる回って歩いた。しばらくして、リードをつけて用水路にかかる橋まで歩いた。
 家に帰ってから、今日はじめての食事。秋刀魚の焼き魚一匹分と、牛肉を少し、いろいろな野菜を煮たものを食べた。ドッグフードも少し。