「一枚の絵」続き

 昨日書いたブログ「一枚の絵」を見た知人がメールを送ってくれた。
 「感想。」というタイトルのメールにはこんなことが書いてあった。
 以下抜粋
 ・・・・・・昨年末に、渋谷の松濤美術館で「渋谷ユートピア」という東京の郊外に住んだ画家たちの特集展示が開かれました。そのキャッチフレーズは「原宿も、恵比寿も、代々木にも、画家たちは住んでいた。」といって、竹久夢二などと一緒に岸田劉生の風景画「道路と土手と塀」が図録に載っています。大正から昭和にかけてのその当時は、代々木あたりも、又○○○○も発展する都市東京の《郊外》だったわけです」

 ○○○○はわたしが住んでいる街の名前だが、大正から昭和にかけて、東京の郊外として発展した街として、岸田劉生が描いた風景画と同じような風景が、こども時代にも残っていたのだろう。たぶん、わたしの住んでいる街の方が、代々木より開発や発展が遅かったので、20年以上遅れて同じ風景があらわれたのかもしれない。
 「道路と土手と塀」は大正4年、わたしの母が生まれた年に描かれている。このこともこの風景画に対する思いを強くするようだ。


 老犬レオは昨夜もなかなか寝付かず、部屋の中を歩き回り、障子にぶつかったり、隅に顔をつっこんだりして、同じ部屋にいるため、こちらも寝付けなかった。トイレに行きたいのかと思い、1時半くらいに外に出すがそうではなかった。このまま、興奮状態が続くとわたしも眠れそうもないので、レオを玄関先に置いたまま、寝る場所を別々にすることにした。レオがごそごそ動く音は聞こえるので、気になったがいつまにか眠ってしまい、次に4時ころ起きた。やはり、レオのことが気になり、玄関に様子を見に行くと、タイルの上に寝ている。そっと抱き上げて、わたしと同じ部屋に連れて行き寝かせた。レオは熟睡していて、頭が完全に脱力状態で、手で支えないと頭がかくんと下に落ちてしまう感じだった。
 レオといっしょに眠ると、こちらが眠れないことが多いし、別にすればするで気になってしまう。
 レオが部屋を歩き回るだけなら、気にせずに眠ることはできるのだが、トイレに行きたい場合があるので、どこかでそそうするのではないかという心配が眠れなくしているようだ。



花壇では、切り戻したヘリオトロープの紫色の花が咲き始めた。
10月くらいまでは咲き、その後は掘り起こして鉢に植え、霜の当たらないところで冬越しをする。
手間がかかるが、この花の色と香りも好きだし、少しダークな色調の大きめの葉っぱも好き。
花壇に植えると、ほどよいインパクトがある。