世田谷美術館に「岸田吟光・劉生・麗子」展を観にいった

 朝方からお昼頃までは陽光あふれる春の晴天、午後から雲が出て空気が少しひんやりとした。
 朝早く、今日は父の月命日なのでお墓参りに行った。昨日も足を運び、お花はお供えしてある。ピンク色のカンパニュラ、庭の山吹と桜である。
 うららかな春の陽射しを楽しみながら、お寺に来るのはお彼岸中以来であることに気づく。モクレンの花は散り始め、アカバナマンサクの濃いローズ色の花が咲き始めている。
 お墓参りからかえってすぐ友だちが家に来たので、車を出して世田谷美術館へ。東名高速下の駐車場に車を止め、入館し、3時間余りじっくりと鑑賞した。
38歳で肺結核で命果てた画家、岸田劉生とその父、吟光、劉生の娘、麗子、親子三代の生涯とその足跡、作品が展示されている。
 江戸時代、天保4年に岡山県に生まれ、ローマ字を考案した医師・ヘボンとの出会いにより、辞書編集の手伝いなどをし、さらに事業家として様々な活動を繰り広げた。明治維新後は毎日新聞の前身である東京日日新聞主筆となり、変わりゆく江戸をリポートしたりした。東京・銀座に本店を構え、液体目薬の本格的な全国展開をおこない、交友関係は政治家や画家、実業家など多岐に渡った。大隈重信にあてた手紙(巻紙に墨筆)も展示してある。いわゆるビジネスレターももちろん、墨の字で強弱をつけながら流れる筆致にため息が出てくる。この時代の人たちはハイレベルである。ビジネスレターと、大隈宛ての手紙は筆致が明らかに違うのもすごいと思った。
 その息子の劉生は14人兄弟の第9子。14歳の時、両親とも亡くなったが銀座の実家(薬膳堂本店)には22歳までいたようだ。日本画をたしなむ女性と結婚し、代々木、駒沢、鵠沼へと居を移した。肖像画静物画、風景画がすべて展示され、いくら時間があっても足りないほど。娘の麗子座像、立像もすばらしいが、友人や知人を描いた肖像画もすごい。顔や体の厚みとその内側にあるものまで描かれている。目に見えるものを描き、目に見えないものまで描いている、そんな感じ。
 鵠沼に引っ越してから描いた風景画も印象に残っている。「初夏の小路」「石垣ある道(鵠沼風景)」。「代々木付近《代々木付近の赤土風景》もいいな。劉生の油絵は、対象が人であれ、風景であれ、静物であれ、肉迫する姿勢は同じだ。
 最後の方は日本の文化に傾斜し、描く絵も日本画に近くなるが、形の取り方は日本画とは違って、不思議な印象。こうして時系列にそって一人の画家の作品を追うのはとても興味深い。
 娘の麗子は父のてほどきで幼いころから絵を描くが、父亡きあと、父の旧友であった武者小路実篤に私淑し、女優として舞台に立つ。結婚して三児の母となった後も、絵画や演劇、小説などの表現活動を続けた。劉生が残した膨大な量の日記を精読し、父、劉生について一冊の評伝も書き上げた。


 見終わった後、地下のカフェでサンドイッチとアイスコーヒーのランチ〈カマンベールチーズとハムのサンドイッチが美味しかった)。しばらくおしゃべりを楽しんだ後、公園内の桜を見に行った。芝生の公園にソメイヨシノの大木が10本近く植えられている一角があり、のびのびと枝を四方に伸ばした桜の見事さに息を呑んだ。のたうつような枝が地面に接着して、そこからまた枝が出ている。花いっぱいの桜の枝が巨大な傘となって、人々の上に花天井をつくっている。平日だが春休みなのでこども連れの家族が多いようだ。桜並木の桜は、枝ぶりを整えているのでこの迫力がないが、ここの桜は自由に枝を伸ばしているのですばらしい。
 しばらく眺めて、帰路についた。

デジカメを持って行くのを忘れ、携帯は車の中に置き忘れ、写真を撮れなかったのが残念。