雲にのりたし

「夕焼けの雲にのりたし秋の空」
 これを絶句として、この世を去った親友のことを思い出すような朝の雲だった。

 老犬レオは早朝4時ころ、ガバッと起き、頭を下に向けて部屋の隅にたたずんだり、落ち着かず、あちこち歩き始めた。わたしも目が覚めたが眠気が強く、レオをなんとかしようという気になれなかったが、おしっこをしたいのではないかということが気になり、眠りたい眠れない状態・・・・・・。
 小一時間くらいしてか、意を決して、わたしも起きて、レオを抱いて庭に出すがどうもおしっこではないような。朝顔を長めに行ったりしながら、レオの様子を観るが、少したってからまた抱いて家に入れ、わたしはまた眠ろうとするが眠れず。
 だがレオを気にしつつ、少し眠ったようだ、次起きた時もレオは起きていて、口をぱくつかせ歯ぎしりをしている。これはおしっこだ!と起きて庭に出す。わたしは今度は本格的に(?)に起き、レオを外に出したまま、雨戸を開けたりしていた。
 その間、レオはひとりで道路に出ようとして駐車場への階段を降り(落ち?)、外に出る手前におしっこをしていた。レオを追っかけてきたわたしはそのままつきそって道路でレオを歩かせた。
 そのとき見たのが、ちぎったような雲が浮かぶ空。夏の雲とはどこか違う感じがした。ふと秋を感じ、友だちを思い出したのである。友だちが病床から見たのは、うっすら茜色に染まった秋の雲だったのだろうか。夕暮れの帰りを急ぐように、空を浮かんで流れていく雲。乗って行きたいところはどこだったのだろう。
 秋に亡くなった友だちは8月はまだ元気だった。あのとき、会いに行かなかったことが悔いとなって残る。9月になって「秋を楽しみましょう」とメールを送ってきた。
 今朝のちぎれたような雲を見て、わたしも雲に乗りたくなった。雲の上は広ーい草原で、お花畑もあり、木立ちが茂る森やその中に湖もある。雲の淵に腰をかけると、青空が大海原のように眺められる。白い雲は海に浮かぶ島だ。雲の上でわたしは自由だが、なんにもしないのだ。ただ、座ったり寝転がったり、ときには歩いて眺めるだけ。
 地上で生活をするときは、なんにもしない時間というのはなかなかむずかしい。なんにもしないようで、何かをしてしまう。
 だが雲の上では永遠の時をなんにもしないで過ごす・・・・・・。こう考えていたら、寂しくなってきた。 
 ときにはあくせくと、何かをしてしまう地上の生活こそ、幸せの源泉なのだな。
 友だちの分も人生を楽しまないと、彼女に叱られそうだな。いつもわたしを鼓舞してくれた友だった。わたしを買いかぶってくれた友だった。 
   
 というわけで、今日もそんなにたしいたことはしなかったが、老犬レオのお世話(お向かいの奥さんはレオちゃんに尽くしていて・・・・と言った)と、レオが寝ている間に2枚の絵を描いた。
 レオは朝ごはんはたくさん食べた。ただ、暑さのせいか、朝は家の前の道路を行ったり来たりしただけ。
 夜のごはんは8割ていど。散歩も朝と同様。部屋を歩き回り、何かを訴えて、ときどき変な声で泣くのが気になる。トイレなのか、水なのか。かまってほしいのか、どこか違和感あるのか。


早朝撮った行燈仕立ての朝顔


ひさびさに庭で眠ったレオをスケッチ。
昨日の夕方6時過ぎころ描いた


写真を見て今日描いた絵
シソの葉と、カラミンサ、ブルーサルビア、シロタエギクの葉っぱを主に描きたかった
銀色の葉っぱを描くのが難しかった