茗荷の思い出

 昨夜は蒸し暑く、エアコンをつけたり消したりして過ごした。11時過ぎ、寝る前のおしっこをしてもらおうと老犬レオと散歩に出た。7時ころもそうだったが、この時間になっても蒸し暑く、まったくの無風。
 いつもの用水路沿いに行き、少したつと風が出てきた。モミジの枝が揺れ、商店街のハタが揺れる。川辺に生える背の高い草もゆったりと左右に動いている。風が出たとたんにレオは元気になり、いままで前に進むのを嫌がったのに、回りなからも歩いた。用水路沿いの道でリードを離しフリーにすると、レオはごきげんで大回りしつつ、後をついてくる。わたしもレオが後から歩いてくるのは久しぶりなので、うれしくなり、何回か回ってたどりついたレオを抱いてほめた。
 家に帰ると、レオとわたしのハッピーな気分は吹っ飛んだ。
 レオが散歩中におしっこをしなかったので、家の中でもしかしたら・・・・とあちこち見て回ったら、また、仏壇を置いた床の間の隅におしっこをしていた。お盆の前は隅に半分に折った新聞紙をたてかけておいたが、盆棚を作ったので取り除き、片付けた後も新聞紙を置いておかなかった。いっしょうけんめいきれいにしているわたしの方に近づいてくるレオを、あっちに行きなさいと追い払ったがそれ以上は怒りを感じなかった。しかたない。あきらめの気持ちが強かった。
 その後もレオはなかなか眠らず、わたしも眠れなかったがその割には早朝に起きた(わたしだけ)。
 
 レオがまだ寝ているのでパソコンを開け、いつも訪問するブログを拝見すると、茗荷の初収穫について書いてあった。
 思ったより早く起きたレオを庭に出したがなかなかおしっこをせず、3時間近く、庭や家の前の道路を、ときどき休みつつ歩いた。暑いのでもう家に入ろうと抱いて玄関の上におろすと、自分でまた外に行こうとする。3時間近くの間に、4回、水や水で薄めた牛乳で水分補給をし、2回、外の流しに水道水をため、手足やおなかを冷やした。
 この合間に、植木鉢の水やり。さきほど拝見したブログに刺激され(?)、庭の2か所に植えてある茗荷の親株の根元を探索(?)。ぱっと見には何も出ていなかったが、よくよく見ると、あった、あった。固い地面から茗荷の先がのぞいている。まだ、あまり太っていない。ひとつだけ花が咲きそうになっていたものもあった。収穫は10個にも満たないが、なんかうれしい。
 茗荷はこどもの頃、よく父親に採ってこいといわれ、採りにいったことを憶えている。やわらかい土の中から茗荷を見つけると、こどものときもうれしかった。もみがらを敷いてあったように記憶している。父はこの茗荷で、うどんのつけ汁を作った。鶏肉と茗荷がたっぷり入った、しょうゆ味の汁で、茹でて水洗いしたうどんを暖かい汁につけて食べるとすごくおいしかった。
 今、庭にある茗荷の場所の1か所はこどもの頃と同じ。こどもの頃はもっとたくさんあったが、今はその周りにアジサイツツジが植えられ、あまり量は多くない。
 茗荷にはもうひとつ父の思い出がある。母が亡くなったその年、玄関先に植えてある茗荷がたくさん出ていた。まるまるとしたおいしそうな茗荷がいっぱい見えていた。わたしはあまり関心がなく、そのままにしていたが、父がある日、茗荷を採って食べようと言った。その一声で、かなり収穫し、キュウリの塩もみに刻んだ茗荷を混ぜたり、ソーメンの薬味にして父と食べたのを思い出した。暑い日に食べるとおいしかった。茗荷入りキュウリは生前の母がよく作った一品だった。

収穫した茗荷

ダリヤのつぼみに黒っぽいトンボがとまっている。
まだ、赤とんぼは見かけない。
蝉もニイニイゼミが鳴いているが、アブラゼミやミ―ンミーンゼミはまだ鳴いていない。
いつもメダカを狙って水ガメを訪れる細くて黒いヘビも見かけなくなった。
庭を訪れる生き物たちにも変化が・・・・・

 結局、老犬レオは昼過ぎから朝ごはんも食べることなくずっと眠り続け、6時過ぎに起きた。起きてからもしばらく横になったままで、時間をかけて起き上がるタイミングをはかっているみたい。午前中、暑い中を歩き回って体力を消耗したようだ。
 やっと立ち上がり、散歩に出たがあまり歩かず、早めに帰り、夕ごはんは多めに食べた。だが食後すぐに、また、仏壇のある床の間でおしっこをした。自分の食事の用意に気を取られていたため、床の間の隅に立てかけた新聞紙が濡れているのを見てわかった。
 レオがいまなにをしたいのか、してほしいのか、わかるはずがない。なるべく先取りして対応しようとするがこのやり方にも限界がある。出来る限りはするが、パーフェクトは目指さないようにしよう。