最近立ち寄らせていただくブログから触発され、近所の空き地の写真を撮りに行った。家から、数分のところ。老犬レオの散歩コースである用水路を右に曲がったところにあるのだが、そこに行くのは数カ月ぶりくらいだった。
こんなに近いのに行かないときは行かないものだ。空き地を見て、軽いショックを受けた。昨年秋に更地になったのだが、雑草がちょっと生えてきたなという状態の記憶が残っていたので、その雑草の横暴ぶりに時間の流れを感じた。
人の背の高さより伸びた夏草は、ここがかってどんなところだったかという歴史(大げさか)をかきけしていた。
この空き地の半分くらいにかっては古い一軒家が建ち、ここは自転車屋さんだった。その家の脇にはケヤキの大木がどっしりと立っていた。ケヤキから先は今と同じ空き地だったが今ほど草は生い茂っていなかった。
この家では小型犬のパピヨンを飼っていて、家の前をレオが通るとその犬は外に出たがった。飼い主さんは戸を開けてパピヨンを外に出し、レオにじゃれかかってきたのを憶えている。気さくな感じの飼い主さんとことばをかわしたことも何回か。
明りが灯る時間に、この家の前を散歩で通るとき、窓から明かりがもれているのを見て、なんだかあたたかい気持ちなったこともある。
このあたりには珍しい古い家だが、そこからもれる明りには人のあたたかさがこもっていた。
この空き地にもそんな遠くない未来、新しい家が建つのだろう。その家にも明りが灯るだろうが、特別な思いで眺めることはないだろう。
俳句をひねってみた。
夏草の住み家となれる空き地かな
夫婦と犬かって住みけりこの空き地
空き地に夢の跡なく草茂る
2年前の写真。
空き地には平屋の家が建ち、ケヤキの木があった