骨になったレオとともに

 今日は妙な縁を感じる日だった。いつものコンビニに朝食用のパンを買いに行き帰り、若い頃のレオが大好きだったわんこ(女の子)の飼い主さんに偶然会った。自然の成り行きでレオの死を伝えた。
 飼い主さんは手にしていた袋をわたしに差し出し、この枇杷をレオちゃんにお供えして、と言った。家に大木の枇杷の木があるようだ。ありがとうと受け取った後、わが家にも熟して落ちそうなスモモがあることを思い出し、後でスモモをお持ちしますねと言った。
 赤いスモモを収穫する気など、その一瞬前までまったくなかった。レオのことでその気力がなかったのだ。枇杷をいただいたことでお返しに、という気持ちが働き、収穫しようという気持ちになった。
 家に帰りさっそく脚立を出し、ふれなば落ちそうなスモモ(実際に落ちたものもかなり)をもぎとった。そこにチワワを連れた顔見知りの飼い主さんが通りかかり、その赤いの何なの?と話しかけてきた。これがきっかけでレオが死んだことを話した。このチワワと飼い主さんはレオが生前、最後に会った(わたし以外の)人と犬だった。
 レオが発病する前の金曜の夜(まだ早い時間)、夕食を食べたレオをトイレに駐車場に出したときに散歩の帰りで通りかかったのだ。チワワを見たレオはブロック塀からは離れ、チワワのほうによろめくように近づいたが、顔を下に向け、立っているだけでせいいっぱい。いやわたしが横で支えていた。半年前だったら、チワワにぱくっとするくらいの気力があった。あまり調子よくないなと感じ、レオを抱いて早々に家に戻った。
 その飼い主さんにレオの死を告げるのは、最後の夜のレオを思い出し辛かった。もちろん、その方にもスモモをあげた。
 さらに、一度も話したことのない宅急便の運転手さんに、よくこの道路で歩いている犬、長生きだねと話しかけられた。ええ、でも土曜日に16才で死んだんですと答えると、16歳まで生きるなんて長生きですねと。もう少し前に話しかけられたかった。
 葬儀場に行く前に郵便局に行くと、菩提寺の住職さんがいらして、雨続きで散歩が大変だったでしょう。ここでもレオの死を告げることになった。なんだか不思議な縁でレオのことをみんなに伝える一日だった。レオがいないということをわたしがその都度、思い知る一日だった。

 車で葬儀場に行き、午後1時から1時間と少しの時間をかけて、レオは骨になった。骨壷に入れたレオの骨を助手席に乗せ、車で帰る途中、レオとよく行った近場を車で通った。多摩川の土手を走る玉堤道路を走らせ、緑に輝く河原を眺めるとふいに涙が出てきた。レオが歩けなくなって多摩川に行けなくなってから、河原を散歩していた当時のことは思い出さないようにしていた。というより、レオの介護にいそがしく思い出すよゆうがなかった。
 こうしてレオの遺骨を載せ、河原を目の前にすると、封印がとけたように元気な頃のレオがよみがえり、走馬灯のようにあの日々が流れていく。
 帰宅し、レオのお骨を抱いて、まるで新しい犬を家に迎えたように、すべての部屋を案内した。最後のほうのレオは、庭に面した部屋で過ごすことが多かったので、ほらこんな部屋もあるよと伝えたかったのかもしれない。もうどの部屋に行ってもいいのだよ、と。変なことをする人だなと思われるかもしれませんが、まあ、ここは受け流してください。


レオの遺骨はわたしの部屋(レオの部屋でもあった)に安置
近所の高齢犬の飼い主さんがお花を持ってきてくれたが
この写真には写っていない


真っ赤なスモモの写真も撮れなかった。ほとんどのスモモを配ってしまったので。