小津安二郎監督の映画『麦秋』を見てみた

 この映画は劇場も含めて3回ほど見た。最近、あるブログで色づいた麦畑の画像を見たら、この映画を思い出し、見てみたくなった。映画の最後に、初夏の麦畑が出るのである。だがラストシーンはわたしが記憶していたのと違っていた。このことは後で書いてみたい。
 老け役の印象が強い笠智衆がこの映画では働き盛りの医者、間宮高次になっている。28歳の妹が紀子で原節子。北鎌倉に住む間宮家は、両親と、高次、その妻、二人の子供、紀子の七人家族だ。紀子は東京の丸の内(?)界隈に勤める、今でいうキャリアウーマンだがそろそろ結婚をしたほうがいいと回りが動き始める。彼女が勤める会社の社長が自分の友人を紀子の結婚相手としてすすめるが、ここから平穏無事な日常が少しずつ変化し始めるのだ。
 紀子がこの縁談話を、兄嫁(三宅邦子)に家で話す場面はおもしろい。昭和初期の住宅なので、襖や障子が部屋を仕切るが、襖の向こうで兄の高次が聞き耳をたてる。話終わった紀子が席をたつと、高次は襖を開け、この縁談をすすめろと妻にうるさく言う。また、紀子が戻る。襖は閉まる。笠智衆はこの映画でコミカルな面を出していて、笑わせてくれる。
 紀子はとつぜん持ちあがった縁談に乗り気でもないし、嫌がるそぶりも見せない。あの娘、何を考えているのだかわからない。と周囲に言わせるような女性なのだ。だからこの縁談話の結末は家族にとって、えッ!!という感じで、思いがけない彼女の決断をそれぞれが深く受け止める。おだやかな日常が営まれてきた居間に、暗い顔をした家族がそろって、紀子の気持ちを確かめる場面がある。それぞれが紀子の幸せを願っているからこその衝撃だが、彼女は自分の決断に自信がある。このときの紀子の表情が一瞬、きっとした感じになる。おだやかな笑顔の奥にあった強さにドキッとさせられた。
 間宮家にはもう一人、次男がいて、南方の戦地に赴いたまま、帰ってこない。父(菅井一郎)はもう帰ってこないというが、母(東山千栄子)はまだあきらめきれない。そんな会話の後、五月晴れの空に泳ぐ鯉のぼりの映像に変わる。母は帰らぬ次男のこどもの頃を思い出したのだろうか。
 この父母がある日曜に二人ででかけ、どこかの学校の構内でひと休みする場面がある。娘が嫁に行ったら寂しくなるし、今がいちばんいいときだと語る父。母はそんなことはない、もっとこれからもいいことがあるという口ぶり。そこに大空をどんどん上がっていく風船が目に入り、父母はわが子の小さい頃を思い出す。親は自分の娘や息子が大人になっても、こどもの頃のことを鮮明に覚えている。だが子供は大人になれば目の前のこと、未来のことしか見なくなる。親と子の時間感覚はある意味でまったくの逆向きなのだ。
 娘の紀子が自分で決めた相手に嫁いだ後、老夫婦は大和の実家を訪ねる。そこで一面の麦畑を見る。穂を上に向けて風にそよぐ麦畑の中をどこかの嫁入りの行列が通っていく。
そこで話す母親のことばがわたしの記憶とまったく違うので驚いた。
 記憶では戦地に行ったまま戻らない次男のことを思い出して何か言うのであった。今回見たDVDではどうなのか、ぜひ、実際に見ていただきたい。
 

 この映画を見て、小津安二郎監督は天才以外の何者でもないとの思いを強くした。
 北鎌倉の駅から東京を向かう電車をロングで撮った映像のすばらしさ。鎌倉の山間に電車が走る、それだけのことだが胸がキュンとなる。
 家族写真を自宅で撮影する場面も忘れ難い。嫁ぐ紀子とともに家族のかたちが変わる前に、記念に撮る写真は淡々とした中に口には出せない思いがこもっている。

この映画は昭和26年公開の作品だが、その頃の貨幣価値はどのくらいだったのだろう。
 紀子が兄嫁からのリクエストで生クリームがたっぷりのホールケーキを買ってくる場面がある。
 東京のどこかの有名な洋菓子店のケーキで、900円もするのだ。
 兄嫁は値段を聞いてびっくり。いくら自分が頼んだものといってもそんなには出せない、あなたも半分持ってねと紀子に言う。
 夫は医師なのだが、大学病院に勤める医師はそんなに高給取りではないのだろう。
 それより独身貴族の紀子の方がお金にはゆとりがあるみたいでおもしろい。