昨日は奇跡の金環日食

 昨日(5月21日)は、日本の広い範囲内で金環日食が見られる日だった。天気は曇りで実際、見られるか見られないかは微妙だったが、東京では厚くおおっていた雲の切れ間から奇跡的に見ることができた。
 さまざまな力が働いて、このようになった、としか思えない。だから奇跡ということばを使った。奇跡は見た目わかりやすいが、それを起こす力は複雑怪奇。その力に感謝である。
 ときどき雲の中に隠れながら日食は進んでいった。右斜め上から月が太陽にかぶさっていき、粛々とかぶさる部分が大きくなっていく。わたしは6時半過ぎから見始めた。朝、起きたとたん、今日は金環日食だ!と飛び起きて、日食グラスを片手に外に飛び出した。そのとき、東の空に雲は厚くたれこめていたが、北東側は雲が切れて、青空もうっすら見えていたので、これなら見れる!と確信した。
 しばらく外にいたが、家の中でも見れることに気づいて(笑い)、家に帰り、部屋の中から見た。雲に隠れながら、ハラハラさせながら、日食は進んでいき、金環になる寸前、また隠れてしまう。ああと思ったがすぐ出てきて、美しい金環日食が現れた。演出としても最高である。最初から最後まで見えっぱなしでは、確かに喜ばしいことではあるが、ハラハラドキドキ感がない。隠れつつ見せつつ、最後にクライマックスでは堂々と姿を現す、今回の金環日食は最高の演出家の手によるものではないか。
 7時32分くらいから37分近ころまで、かなり長い間、大空の金環が楽しめた。いつまで続くかというハラハラ感があった。でも思いがけなく長く続いて、ひたと見つめ続けた。ケイタイで時間を確かめながらの5分間だった。
 この間、老犬レオはぐっすり寝ていた。ときどき様子を見に行って、寝ているのを見て安心した。

 レオが起きたのは9時過ぎ。外に行きたいとの催促を待ってと言って待たせたら、寝ている部屋でおしっこをもらしてしまった。レオが呆然と部屋の隅の立っているので、おかしいなと思ったら、案の定・・・・・・・。すぐレオを外に出して、ぬれている畳をふき、きれいにした。
 午前中はずっと外にいたがり、一度、家の中に上げてもまた出たがった。わたしも外にいたので、とても疲れた。今日するつもりのなかった、ツツジの’オオムラサキ’の剪定をレオをときどき見ながらやった。脚立に上るので上からレオの様子も見えた(見えない場所もあるが)。狭い所に頭をつっこんだりすると、レオをレスキューに行く。こんなことを繰り返したので(といっても3〜4回くらい)、疲れがたまってしまい、午後はぐったりした。
 レオは午後は寝ていてがいつもより眠っている時間が短く、夕方前に起き、外に行きたがったので外に連れて行き・・・・・・・・・・・
 こんなあんなで疲れ果てた一日だった。レオもそうかもしれない。まだ寝ているみたいだから。
 
 昨夜はひとつショックなことがあったのを思い出した。レオがわたしが食べている鉢から、肉のかけらを奪い取ったこと。残りの牛肉と新じゃがいも、新たまねぎ、こんにゃくなどで、肉じゃがを煮たのだが、大きめの鉢に盛って食べているその目の前で強奪してしていった(?)。レオがのぞいているからいい匂いがするのかなと思った、その途端のできごと。
 テーブルの置いておいた食事を食べられたことは何回かあった。焼き鳥やカツオのたたきなど。だが、食べている目の前でははじめて。こんにゃくやじゃがいもは無視して、牛肉だけというところがおかしい。


ピンク色のチドリソウが咲き始めた。これは一昨日の写真


朝の散歩のとき、わたしの足元に伏せをした、レオ。こっちは昨日の写真