気がつけば春

 昨夜は早めに床に就いたが、夜中の12時ころ、2時ころ、4時ころと3回も老犬レオに起こされた。はき気があるようでぐわぐわと喉をならすが、何も出てこない。少し(10分くらい)すると落ち着き、眠りに就いた。最初の12時に起こされた時は30分以上、歩き回っていた。こんなことがあり、眠ったような眠らないような一晩だったがやはり、レオが落ち着くとこちらもしっかり眠っていたようだ。眠くてたまらない一晩でもあった。朝になってもすぐ起きる気はなかったがやっと起きる気になった。雨戸をあけると春の太陽が降り注いでいた。部屋から眺められる絞りの椿も光を受けて輝いている。雨戸をあけると、霜柱が立ち、水盤に氷が張る庭があったのはつい、最近のことのように思える。だがもう春真っただ中だ。朝はまだ寒いがこれも時間の問題だろう。春はこんなふうにやってくるのだ。どこから始まったのかわからないが気がつけば春の中・・・・・・・・・。
 昨夜、眠れぬ時間で考えた。父といっしょに暮らしたとき、病を持っていた父は愛犬レオと同じように、わたしを一晩に何回も起こしたことがよくあった。真夜中や明け方に医師を呼んだり。救急車を呼んだこともあった。起こされる方も大変だが、起こす方はもっと大変なのである。それはわかるが起こされるのは辛かった、このことが重なり、わたしの体も変調をきたした。いま、同じようなことが繰り返されているような気がしたが、こんどはもう少しうまく立ちまわりたいと思った。愛犬レオにできるかぎり寄り添いながら、わたしの健康も保ちたい。むずかしいが自分のためでも、レオのためでもある。父の場合、わたしの体調がおかしくなってから、父も容体が急変し、6か月にわたる入院生活を送ることになった。わたしがあまり思い詰めず、自分を追い込まないで、うまくやっていれば父にもわたしにも、もっとよい生活があったかもしれない。結果は同じでも、そこにいたるまでの日々が大切だ。今なら、レオにとっても、わたしにとっても。
 光をいっぱいあびている庭に出て、眺めつつ、写真を撮った。真っ青な空を背景に咲く、満開の梅の花の美しさ。ちらほら花弁が舞い降りている。しっかりと見ておこう。この春の梅を。
 裏庭に作った野鳥のえさ台には数日ぶりに、牛肉の脂を載せてやった。メイプルシロップをとかした水も用意した。ヒヨドリや、ムクドリがやってきたがここもそろそろ手じまいにしよう。数日前に、つがいのハトがやってきて、えさを独り占めにしていたし、カラスも様子を見に来ていた。春から夏、秋までは野鳥たちの水場として甘い水だけを提供したい。



よく見るとなんと愛らしい花か!


満開の梅、ちらほら花弁が散り始める


梅と乙女椿のコラボレーション


朝起きたら、絞りの椿が光輝いていた