『春よ、来い』

 久しぶりにYou Tubeにアクセスして、なんの気なしに松任谷由実の『春よ、来い』を聴いたら、はまりこんでしまった。一回目聴いたとき、涙がどっとあふれ、とまらなかった。まず始めに想ったのは、冬の季節に他界した父母のことだ。母は家にいるとき、寒い寒いと訴えていた。寒い家から病院に入院して1週間で逝ってしまった。寒い季節を乗り越えて、春を迎えてほしかった。母のいない春は残酷なほどきれいに見えた。父は立春の前々日に他界した。その年はじめてのクロッカスが咲く前日だった。やっと春に手が届きそうだったのに・・・・・・。在宅医療の日々を医師や看護士さん、ヘルパーさんとともにがんばりながら、目指したのは春だった。三月までは、と心の底で想っていた。だが果たせなかった。その後、3月11日の東日本大震災、大津波原発メルトダウンが日本を、東北を襲った。3月12日は父の49日の法要を予定していたので、お骨は家にあり、お供えが床に飛び散り、花を生けた花瓶が倒れた。これを見て、父が生きていたら寝たきり状態でどれほど怖かったろうと思った。春に届かなかったが、春までいたらどうなっていたろう。
 3月11日の東日本大震災や大津波で亡くなった、おおぜいの人たちに思いをはせた。とつぜん命を絶たれ、春を迎えることができなかった人たち。無念だったろう。今日の次に明日があると思って生きるのが人の常だ。テレビを見ていたら、自分たちが使う電気のために福島原発があるわけでないのに、なぜこんな不自由な思いをしなくてはいけないのかという、避難区域に住む人のことばを聞いて、どきっとした。わたしには節電に努めることくらいしかできない。あとはささやかな募金。生きている人は明日があると信じなければ生きていけない。心の中の春はまだ遠い感じもするが少しずつでもいいから春に近づきたい。日本も東北も一気にとはいかなくても、少しずつでも復興してほしい。一年後はここまで来たのかと思えるようになっていたい。東日本大震災の犠牲になられた方々に心からの哀悼を捧げたい。

 柿の木の下に設けた野鳥のえさ場には、今日は小麦粉と植物脂、砂糖で作ったバードケーキを置いておいたが、つがいのメジロやシジュウガラ、一羽のムクドリ、つがいのヒヨドリがやってきた。庭にはメジロの愛らしいさえずりが響く。愛犬レオはどうも調子が悪く、昨夜は吐き気があったみたいでよく眠れなかったようだ。昼間は朝、外に行った時以外はずっと寝ている。朝ごはんも食べていないので、とても心配。
 『春よ、来い』の歌詞の冒頭に「淡き光立つ 俄か雨 いとし面影の沈丁花 溢るる涙の蕾から ひとつひとつ 香り始める」というのがあり、これを聞いて、沈丁花を駐車場の横の空きスペースに植えることを決めた。沈丁花は香りが大好きな花で、昔は何本か植えてあったが今は白い沈丁花が一本だけ玄関前に植えてある。見かけよりも弱い性質で、根も浅いため、手入れが大変と思い一本だけでいいと思っていたが、この歌を聴いて、沈丁花しかないと思うようになった。さっそく、車で15分くらいのところにあるホームセンターに行き、苗を手に入れようとしたがあまり良い苗がなく、培養土だけを買って帰ってきた。ホームセンターには、年数がたった丈夫そうなオカメ桜の苗木が、わたしが手に入れたネット販売より安い価格で置いてあり、がっかり。やはり、木の苗は自分の目で見て買うのがいちばんと思った。

咲くのがいちばん遅い青紫色のクロカッスが咲いた



沈丁花の蕾は昨年から付いていて、寒い季節を超え、やっと春を迎えることができた。蕾のかたちをよく見ると、涙に似ているようで、『春よ、来い』の溢るる涙の蕾ということばがぴったり。