樹木の効用

 今までも寒かったが今日は特別寒い。一年前の2月2日に黄色いクロッカスが一輪だけ咲いたのを覚えている。今年はクロッカスの蕾はまだ葉の中に隠れていて、上に上がってきていない。今日は父の命日だが、生前の父は庭に木を植えるのがとても好きだった。庭が出来たばかりの頃は樹木もまだ成長していないので、木々がぱらぱらと植えてある印象で、どの木の高さもせいぜい一階の屋根止まりだが何十年もたつと成長した木の高さは2階の屋根までせまろうとしている。生前、父はなぜ木をたくさん植えるのが好きなのだろうと疑問に思ったことがあったが、思いついた答えは父が山に囲まれた村で生まれ育ったから、ということだった。山道を歩いて小学校に通った父にとって、木々がある庭は生まれ故郷を思い出させるのではないだろうか。これはまったくの想像で、本人に聞いてみたことはないので実際どうだったのかはわからない。
 父が植えた樹木は、植えるスペースの割りにたくさんの木を植えたため、いくつか枯れたものもあるがなるべく残すようにしている。剪定などの作業は大変だが、最近になって木を庭に植えることの効用というか、良さをさまざまに実感している。いろいろな鳥が訪れること。水を飲みに来たり、木々を飛び交う野鳥の姿を見るのもいいし、鳥の鳴き声も耳にこころよい。ときにはやかましいくらい鳴くこともあるがこれはこれでなんだろうと思わせる。前にも書いたが、風の力を軽減したり、寒さから家や庭を守る。もちろん、芽生えや新緑、青葉の頃、盛夏、初秋、晩秋、初冬、真冬・・・・・と季節によって、姿を変えるのを眺めるのもいい。さらに、垣根をこわし、庭の一部を駐車場にしてからは、庭に植えた木々が通りを歩く人からの目隠しというか、ワンクッションおいた効果をもたらしてくれるのだ。まったく見えないわけではないが、重なった木々の向こうに見えるというのは、どういうわけか、木々に守られている気持ちになる。
 以前は草花の方が好きだったわたしは、父が木ばかりで庭を埋め尽くそうとするのを距離をおいて見ていたが、今になってみると、父が植えた木々がさまざま生活の楽しみを与えてくれるだけでなく、守ってくれるような感じがある。