こどもと犬

いつもより少し遅く(9時ごろ)、愛犬レオの朝の散歩をしていたら、小学校低学年の男の子が話しかけてきた。
レオの前に膝をついて、「かまない?」と聞くので、耳の後ろから後頭部をなでて、ここなら大丈夫と答えた。
「年をとっているので、前から手を出すと目があまり見えないし、耳も悪いから驚いてかんじゃうかも」とも言った。
その少年と話すと。犬種はわからいないが家で犬を飼っているいることがわかった。
レオを指さして、こんな感じの犬と言うから、柴犬かもしれない。
レオは犬の匂いがしみついた(?)少年のトレーナーに鼻を押し付け、ヒクヒクさせる。
その子は犬のさせるがままにしている。
けっこうやるなあ。自然体で犬と接することができるこどもはそんなに多くない。
犬を見ると条件反射的にこわがる子もいるし、突然さわろうとして犬に驚かれる子もいるし、まったく無関心の子もいる。
家で犬を飼っていて、しかも親の犬との接し方もうまいのかもしれない。
こんなこどもが増えると、日本の犬の未来のためにもいいのになあ。
振り返って、わたしもこどもの頃、家で雑種の犬を飼っていた。
当時、どの家でもそうだったように庭に犬小屋を置いて、少し長めの鎖につないでいた。
決まった散歩はなく、買い物のついでや休みの日に河原に遊びに行くときに連れていく程度だった。
学校から帰って庭でボール遊びをしていると、犬がわたしの方を見ていたがわたしは散歩に連れていくことはしなかった。
犬小屋の周りに、糞がころがっていたのを覚えている。
休みの日に河原に連れて行き、いっしょに走ったのはいい思い出だ。
この犬がそんな年ではないのに病気にかかった。
ここからは父の話でわたしの記憶ではないが、獣医さんに何回か往診に来てもらったそうだ。
でも治療の甲斐なく、死んでしまった。
父は仕事を休み、犬のための棺を自分で作り、そこに亡骸を納めて、裏庭の柿の木の近くに植えた。
「外で犬を飼うのは無理があった」と晩年、言っていた。
それから、父は半世紀以上、家で犬を飼うことを拒否した。
その犬が病気で死ぬのを見て、二度といやだと思ったようだ。

だがこどもだったわたしは犬や猫が大好きで、その後、どこかから犬を見つけてきてしばらく飼ったようだ。
その犬は庭を掘り返す癖があり(多分、散歩に連れて行ってもらえずストレスもたまっていたのかも)
父はそれを理由に、その犬を捨ててくるよう、わたしに言った。
当時、家に配達に来ていた炭屋さんの車に乗って、その犬をどこかに捨てに行ったのを覚えている。
わたしの中ではこのことが妙なしこりとなって残っていて、今、年老いたレオをできるかぎり
大切にしたい、いっしょに過ごしたいと思う気持ちにつながっている。
捨てた犬に対する贖罪といえば大げさだがーーーーーー
こどもでどうしようもなかったとはいえ、見捨てられた犬の気持ちを思うとかわいそうで。

寒いのでエアコンを入れた部屋で眠るレオ